靖國神社崇敬奉賛会(以下、崇敬奉賛会)を母体としております。
部員は崇敬奉賛会会員で任意で入部した十八歳以上四十五歳未満の青年達です。
あさなぎは本部と東、西の二支部で構成されております。
部員は在住地に近い支部に自動的に所属しますが行事には支部に関係なく参加が可能です。
さらに詳しい内容は下記をご参考ください。
入部方法はこちらをご覧ください。
靖國神社崇敬奉賛会(以下、崇敬奉賛会)を母体としております。
部員は崇敬奉賛会会員で任意で入部した十八歳以上四十五歳未満の青年達です。
あさなぎは本部と東、西の二支部で構成されております。
部員は在住地に近い支部に自動的に所属しますが行事には支部に関係なく参加が可能です。
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神前神楽「浦安の舞」の歌でもある昭和天皇御製より拝戴しました。
「浦安の舞」は昭和十五年(1940年)十一月十日に開かれた「紀元二千六百年奉祝」に合わせて作曲作舞された神楽舞です。当日の昭和十五年十一月十日午前十時には全国の神社で奉祝臨時祭が執行され、「浦安の舞」は一斉に奉奏されました。以来、「浦安の舞」は今日でも靖國神社はもとより、多くの神社などで盛んに奉奏されております。
平和を祈る御製の中から、特に「朝なぎ」という語は、「朝、海上の波が穏やかになり、波が静かになること」(『全訳古語辞典第二版』旺文社)という意味で、平和であるという意味として解釈ができることから、恒久の平和を祈念するための本会の活動方針に合うとして、『朝なぎ』が最もふさわしいのでは考えられました。
しかし、御製をそのまま戴くのは畏れ多いことと、平仮名で統一した方が解釈の幅を持たせることが出来ること、神道では漢字での読みよりも、平仮名で幅広く解釈することがあること、字より発音を大切にする言霊信仰があること、さらに子供から大人まで、年齢を問わず本会の活動に参加して欲しいという希望を込めて、本会名称は、平仮名で『あさなぎ』とすることに決定しました。
この度の定例総会で、第8代青年部長を拝命した久野です。本業の政治外交史の研究と並行して、長らく戦争経験者取材や神社調査を全国で行ってきました。
今の日本があるのも英霊のおかげだと、靖國神社を崇敬する我々はみんな思っています。
しかし世間一般では、その感覚が広く共有されているとはまだまだ言い難い現状があります。
私の同業者で、我が国が一方的に侵略戦争を行ったのだという主張のもとで教育・発信している方が少なくないことも影響しているでしょう。
少なくとも確かなことは、靖國神社に鎮まる御祭神が、自分以外のために命を捧げたという史実です。
そうした方々のことを、後世の日本人が命の時間を使ってさらに後世へと伝えてゆく、このこと自体に異存がある日本人はいるでしょうか。
御祭神の生涯や志、そして時代背景について真摯に知り、考えることで、奉慰顕彰(慰霊顕彰)の念が自ずから湧いてくるはずです。
後世の日本人を信じてこそ靖國神社が創建され、また英霊は一命を捧げたのです。
さて青年部あさなぎは、いつも本会(靖國神社崇敬奉賛会)に大変貴重な機会を頂いています。
そこであさなぎも、では自分たちが靖國神社のために何ができるかを考えないといけません。
部員がもつ様々な専門知識や特技を広く共有するのも、行事の重要な目的のひとつです。
それらを靖國神社や大阪護國神社で披露することは勿論ですが、部員一同もてるものを駆使し、
未だ見ぬ同志——共に将来の靖國神社を支える青年部員の仲間を新たに得るということも何よりの貢献です。
「継承」の大切さは、他でもなく数多の英霊がその足蹟でもって訴えかけているところです。
終戦80年にもあたる本年は、各地の(特に全國護國神社會所属52社の)護国神社や(旧)別格官幣社への参拝や祭典参列を青年部員たちに勧めています。
英霊祭祀の招魂社がどのように創祀・創建されたか、そして靖國神社がなぜ近代化を始める際に別格官幣社に列格したかについて肌で分かるはずで、私も躬行実践します。
こうしたことも含めまして、微力ながら部員一同の先頭に立って弛まず研鑚を続けてゆく所存です。
青年部では下記を基本とした活動を行っております。 東日本と西日本で別れておりますが所属に関係なく参加が可能です。
これら以外にも様々な活動行っております。下記の資料もご参考ください