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妹弟へ

2013年9月23日 月曜日

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陸軍伍長 赤井 稔 命

  昭和十九年九月二十一日
  比島ルソン島バコールにて戦死
  鳥取県米子市大工町出身 
  十九歳

千代枝。元気で勤めて居る事と思ふ。
俺も元気で居る。安心してくれ。愈々出発だ。喜んでくれ。
此の上は、専心御奉公致す覚悟である。
千代も大人になった。母上様をよく手伝って御安心させてあげてくれ。
俺の分も兼ねて孝養を尽すのだぞ。
若い者の陥り易い短所としてと言へば解るだらう。決して其の様なまねはするなよ。
一から十まで孝養だ。それから博の面倒をよく見てやれよ。
仲良く暮すのだ。
お前が病気したら、母上様の苦労は大きなものだ。
体を大切に、孝養を尽くせ。
千代枝殿
        
                       兄

博。元気で勉強の事と思ふ。
俺も愈々南方で活躍するから安心せよ。
体を丈夫にして、よく勉強して立派な者になるのだ。
高等科一年生にもなれば、物事の善悪も知って居る事と思ふ。
此の事をよく弁(わきま)へて、よく遊びよく勉強しなさい。
母上様に孝養を、俺の分も尽す様、確かに申付けます。
姉さんの言ふ事をよく聞ひて、体を大切にしっかり勉強しなさい。
        
                     兄より
博へ

       【平成二十五年九月靖国神社社頭掲示】

兄は櫻の木に咲いて居る

2013年4月1日 月曜日

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海軍少尉 服部 壽宗 命
  神風特別攻撃隊「菊水部隊天櫻隊」
  昭和二十年四月十六日
  南西諸島方面にて戦死
  三重県出身
  十九歳

節子殿
 兄は神風特別攻撃隊の一員として明日敵艦と共に、我が愛機雷撃機天山に特攻用爆彈を抱きて命中、男一匹玉と碎《くだ》け散るのだ、最後にのぞみ一筆書遺し置くことあり。
 節子も今では立派な可愛い女学生となつたことであらう。兄は節子の女学生姿が見られずに死んで行くのが残念だ。節子も光輝ある服部家の一女子だ。兄の一人ぐらゐが死んだとて何も悲しみなげく事はない。
 兄は喜んで天皇陛下の為、重大危機に直面して居る日本の為、一億國民の楯となつて散つて行くのだ。少しも悲しまずに笑つて兄の魂を迎へて呉れ。
 (中略)
 兄は常に九段の社の櫻の木の枝に咲いて居る。裏の元屋敷の櫻の木にも咲きますよ。櫻が咲いたら兄だと思つて見て下さい。
 さやうなら。母上を御願ひ致します。
 出撃前夜                          兄
親愛なる妹 節子殿

  【平成十五年四月靖国神社社頭掲示】

ニイサンガ カタキヲ ウツテヤルカラ(妹へ)

2013年3月4日 月曜日

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海軍少尉 宮崎 勝 命
  神風特別攻撃隊第五神剣隊
  昭和二十年五月四日
  沖縄にて戦死
  三重県松阪市日野町出身
  十九歳

 イモウト ヤスコチヤン
 ヤスコチヤン、トツコウタイノニイサンハ シラナイダラウ。ニイサンモ ヤスコチャンハ シラナイヨ。
 マイニチ、クウシユウデ コワイダラウ。ニイサンガ カタキヲ ウツテヤルカラ、デカイボカンニタイアタリスルヨ。
 ソノトキハ フミコチヤント、ゴウチンゴウチンヲウタツテ、ニイサンヲヨロコバセテヨ。

  【昭和五十一年五月靖国神社社頭掲示】

父母ニ誓フ

2012年6月18日 月曜日

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海軍二等飛行兵曹  和田 博之 命
  昭和二十年六月十日
  土浦海軍航空隊に於て
       空襲のため戦死
  群馬県高崎市新町出身
  十九歳

一、永年、親不孝ヲシタ罪ノ償ヒニ、粉骨砕身御国ノ為ニ働クト共ニ、父母ニ対シ真心ヨリ仕(つか)ヘル事ヲ、心ヨリ誓ヒマス。

二、二度ト父母ニ対シ心配ヲ掛ケズ、自分ノ体ヲ大切ニ、何時モ元気デ朗ラカニ、真面目ニ働キマス。

三、常ニ弟妹ノ良キ模範トナリ、立派ニ指導シ、兄弟妹ソロッテ親孝行シマス。

四、本日以後、「父サン」「母サン」ト称ヘ、孝ヲ誓ヒマス。

   昭和二十年五月二十二日

                   和田博之

  「身体髪膚(はっぷ)之ヲ父母ニ受ク、
     敢テ毀損(きそん)セザルハ、孝ノ始メナリ」
  「親思フ 心ニ勝ル 親心
     今日ノ訪レ 何ト聞クラン」

  【平成二十四年六月?國神社社頭掲示】

しっかり頑張りなさい

2011年8月1日 月曜日

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しっかり頑張りなさい

  海軍軍属(学徒)  立川 絹江 命
  昭和二十年八月二十三日
  原子爆弾のため本籍地にて戦傷死
  佐賀県杵島郡橘村出身 十九歳

 安ちゃん。
 お手紙ありがたう。もっと早く返事書かうと思ってゐましたが、なかなかひまがないのでこんなにおそくなってしまひました。ごめんなさいね。
 皆がおりこうさんで暮してゐるので、お父さんも姉ちゃんも非常によろこんでゐます。
 これからも、もっともっとヨイコになってお母さんにお加勢し、お父さん達を安心させなさいね。
 それから尚男ちゃんの病気はなほりましたか。永い間下痢したのなら、やせてしまったでせう。どんなにしてるかしらと心配です。邦子ちゃんはどうしてゐますか。もう大分おしゃべりになってることでせうね。
 安ちゃん。
 もう学校へ行ってゐるとのことですが、学校はいかがですか。なれないうちはいやな日や、つらいこと等あるでせうが、もう一時(いっとき)してるとだんだんおもしろいやうになりますよ。武雄の人に負けぬやうしっかり頑張りなさい。
 それには毎日毎日たとへ少しの時間でもよいから、机に向って予習復習をかかさぬ様になさい。毎日の予習復習を立派にすれば学校の勉強はどんどんおもしろく進みますよ。
 安ちゃんは今からが一番大切な時ですから、分らぬところは勝さんや、望ちゃん、照ちゃん等にきいてしっかり勉強しなさい。
 姉ちゃんも戦争に勝ち抜くまではうんとがんばる覚悟です。ではお元気でおくらしなさい。
   安ちゃんへ
                              さやうなら

                            【平成二十三年八月靖国神社社頭掲示】

遺言書

2011年2月18日 金曜日

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遺言書

         海軍少尉 野村龍三命
         神風特別攻撃隊琴平水心隊
         昭和二十年五月四日
         沖縄周辺洋上にて戦死
         海軍甲種飛行予科練習生第十三期
         愛知県出身 十八歳

         神風特別攻撃隊水心隊
         海軍二等飛行兵曹 野村龍三

古今未曾有ノ國家一大興亡ノ此ノ時沖縄周辺ノ敵撃滅ノ為勇躍征途ニ向ヒマス
生ヲ享ケテ十八年何等ナス事ナク不孝ニ不孝ヲ重ネテ参リマシタ事御詫ビ致シマス
然シ乍ラ今ヤ陛下ノ御楯ト此ノ若キ身ヲ捧ゲ奉ルコトノ出来マシタ此ノ光栄モ一ニ御両親様ノ御蔭デアリマス

辞世

男児等乃燃えて燃えてし大和魂
身は九重乃花と散るらん

 特攻隊愛機ト共ニ搭乗員トシテ死ヲ共ニスルコトノ出来ル無上ノ光栄ヲ今飾レルコトガ出来マシタ
 神國日本ハ必ズ勝チマス
 勝利ノ日迄皆様ノ御健闘ヲ御祈リ致シマス
 龍三ヨクヤツテ呉レタト一言デモヨイカラ云ツテ下サイ

 昭和二十年四月二十八日
 出撃一時間前

 御両親様

【平成九年五月靖国神社社頭掲示】

立派な死を遂げます

2010年12月10日 金曜日

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立派な死を遂げます

       海軍飛行兵長 硲(はざま)榮次命
       昭和十八年十二月二十八日
       ビスマルク群島方面にて戦死
       大阪府大阪市住吉区出身 十九歳

前略(鉛筆にて失礼)
先日は有難うございました。
いよいよ戦地に行くこととなりました。
不用品を送ります。中に時計と、通帳(現金在中)があります。
時計は兄さんへ返上致します。
通帳は「ミシン」代の費用として、尋子にやって下さい。
生を受けて十九年、母様に何の孝養も尽さず、親不孝の罪をお許し下さい。
陛下の御民の一人として立派な死を遂げます。

 大空に生き
  大空に死す
   これ男子の本懐なり

最后に一同様の御壮健をお祈り致します。

                 榮次より

【平成二十二年十二月靖国神社社頭掲示】