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一兵士の死をこの上なく尊く思ふ(遺書)

2014年5月5日 月曜日

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海軍大尉 溝口 幸次郎 命
  神風特別攻撃隊
  昭和二十年六月二十二日
  沖縄方面にて戦死
  静岡県出身
  中央大学
  二十二歳

遺書
  (一)
 美しい祖國は、おほらかな益良夫《ますらお》を生み、おほらかな益良夫は、けだかい魂を祖國に残して、新しい世界へと飛翔し去る。
  (二)
 「現在の一点に最善をつくせ」
 「只今ばかり我が生命は存するなり」
とは私の好きな格言です。
 生れ出でゝより死ぬる迄、我等は己の一秒一刻に依つて創られる人生の彫刻を、悲喜善悪のしゅらざうをきざみつつあるのです。私は一刻が恐しかつた。一秒が重荷だつた。もう一歩も人生を進むには恐しく、ぶつ倒れさうに感じたこともあつた。しかしながら、私の二十三年間の人生は、それが善であらうと、悪であらうと、悲しみであらうと、喜びであらうとも、刻み刻まれて来たのです。私は、私の全精魂をうつて、最後の入魂に努力しなければならない。
  (三)
 私は誰にも知られずにそつと死にたい。無名の幾万の勇士が大陸に大洋に散つていつたことか。私は一兵士の死をこの上なく尊く思ふ。

  【昭和三十八年七・八月靖國神社社頭掲示】

あの空は晴れて居りました

2012年3月7日 水曜日

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陸軍伍長  大石 穂積 命

  昭和十九年八月十九日
  比島レイテ沖バシー海峡にて戦死
  明治大学在学中応召
  静岡県榛原郡初倉村出身
  二十三歳

 母に告ぐ
 穂積はいろいろとお世話をかけましたが 今やつと人なみとなつて死ねます 病気等で本当にお世話になりました どうか母さん余生を楽しく暮らし
て下さい さうして穂積の墓に参る事を一つの喜びとして下さい
 姿こそなけれども穂積は母さんのもとに居ります 大石家の男系はこれで絶
えました しかし古くは楠公に 新しくは乃木将軍に 大石家は必ず穂積が何
処かで見てゐるでせう
 母さんは若いときより苦労しました 穂積はよく知つて居ります 今までに
母さんの一番嬉しかつた事は昭和十七年の秋東京見物に行つた時だと思ひます
 あの日光の水は本当に美しく あの空は晴れて居りました あの日の母さん
の顔が瞼(まぶた)に浮んで参ります
 母さん素子を日本の女として下さい

 妹に告ぐ
 素子よ 兄は今莞爾(かんじ)として戦死する お前は元来無邪気である様
だ その純真さを何処までも盛り上げて 日本の女となれ さうして?兄あり
き?と想ひ出してくれ

 姉に告ぐ
 幼い時よりの姉さんだ 俺は今日本の武士として戦死する 今まで永らくお
世話になつた厚く御礼する
 時々は田舎へ帰つて母さんと素子で俺の墓に来てくれ
 何も思ひ残すことはない

  【平成十年八月靖国神社社頭掲示】

生還もとより期せず

2011年4月1日 金曜日

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生還もとより期せず

       陸軍中尉  森脇誠次郎命
       昭和二十年四月十二日
       沖縄島方面にて戦死
       静岡県浜名郡長上村出身  二十三歳

御両親様

永き間の御恩に、報ずるの秋至り候。誠次郎は今、一身を以て御国の興廃を擔ふの重任に喜びつつ、攻撃に赴く可く候。
神機到来迄はと忍びつつ、ありし日の無念さを今こそ晴すべく候。先輩逝き、同期生逝くを我一人残りたるの淋しさ比するものなく、今日はその仇討に力一杯の奮闘を期し居り候。
生れしより憧れ候、大空に行くの光栄、之に過ぐるもの無く、浜松の空に育まれし幸福無上のものに御座候。
我儘のみ申し真に不孝のみ致し、更に先立ちて逝くの事申訳無く候共、御国の守として悠久の大義に生くるを信じ居り候間、御許被下度候。
生還もとより期せず。仮令、身は南海の涯に散るとも、七度生れて寇敵を討たん決意に燃え居り候。
幼時より御世話に相成り候人々に、よろしく御伝被下度、願上候。
兄の如く思ふ先輩と共に、此の栄ある攻撃に臨むを、此の上無き喜と存じ居り候。
勇みて出撃仕り候。
                     謹 言
                  誠 次 郎

【平成二十三年四月靖国神社社頭掲示】

遺書

2011年1月9日 日曜日

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遺書

       陸軍伍長  清水誠藏命
       昭和十八年一月十六日
       ガダルカナル島セキロ河東方にて戦死
       静岡県志太郡島田町出身 二十四歳

お母さん、最后の書をしたためます。
入営前及び入営后の今日に至るまで、何等孝行らしい事も出来得ず、御世話になるばかりでした。
あの歴史的香港攻略戦には、途中矢つき病魔に倒れたは日本男子として、又日本軍人として此の上もなきはづかしき事と、病院の寝台の上にて涙にぬれて眠れない夜も数日続きました。
スマトラ攻略を終へ、将又香港の汚名をそそぐべき最后の御奉公する時節到来。
靖国神社にて対面出来る事も、遠からぬ事と思ひます。
何卒宜敷く御願ひ致します。
此れだけ書けばもう言ふ事はありません。
喜んで死んで行ったと、弟妹等にも言って下さい。
では、今度靖国神社にての再会楽しみに待って居ります。

誠 藏
母上様

【平成二十三年一月靖国神社社頭掲示】