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遺 書 状

2014年10月24日 金曜日

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陸軍大尉 小松 進 命
  昭和十八年十月十六日
  ニューギニアにて戦死 
  長野県諏訪市出身
  三十五歳

一、君ニ召サレテ屍ヲ戦野ニ曝スハ固ヨリ武人ノ本懐ナリ

一、盡忠ノ大義ニ生ク晴天ノ如シ

一、忠誠ノ士ハ純情ノ孝子ナリト祖先ノ遺風ヲ顕彰セン

一、残レル妻ノ使命ハ孝養ト子等ノ教育ナリ

一、昭夫ハ承継ナリ重夫・恭夫ハ大陸ニ勇飛セン

一、久子ニハ良縁ヲ

一、今ニシテ各位ノ好意ノ大ナルニ比シ恩ニ報ユルナカ
  リシヲ

一、各位ニ宜敷ク

   昭和十六年八月
                     進
妻へ

  【平成二十六年十月靖國神社社頭掲示】

遺書

2014年9月15日 月曜日

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陸軍少佐 森本 三郎 命
  昭和十八年九月三日
  ニューギニア ウエワクにて戦死
  兵庫県印南郡別所村出身
  二十六歳

一、
 皇民トシテ錦旗ノ下ニ死ス
 之臣ノ無上ノ光栄ナリ死シテ
 皇居守護ノ鬼ト化シ猶悠久ニ
 皇國ト共ニ生クルヲ喜フ

二、
 死ニ臨ミ悔ケレト未タ御奉公ノ
 足ラサリシト垣内ニ逆臣名利ニ
 趨ル徒輩ノ絶エサルヤヲ憂フ
 老幼男女階級ヲ問ハス眞ニ皇民
 タルノ光栄ニ感激シ各々ノ使命
 ヲ自覚シ己ノ最大ヲ傾ケ皇ニ奉
 シ顧ミテ恥サルヲ望ム

三、
 遺品ヲ残シ遺族ノ涙ト化スヲ欲
 セス皇國ニ生レ彼蒼ニ散華シ
 遺骨ノ帰省固ヨリ期セス何処ニ
 散ルトモ八紘建設ノ浄土ト化サン

四、
 両親ノ恩ニ報イルニ心配ノ累積ヲ
 以テセシ罪今日ノ壮行ニ免シ許シ
 給ヘ

                 三郎

  【平成二十六年九月靖國神社社頭掲示】

遺書

2014年7月21日 月曜日

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陸軍曹長 三浦 武男 命
  昭和○十○年○月○日
  マリアナ諸島サイパン島で戦死
  愛知県愛知郡豊明村出身
  三十歳

一枝
長い間、色々と御世話になりました厚く御礼申し上げます。
此の御恩は、いつまでも忘れは致しません。
今日の日の有ることを既に覚悟してゐて呉れたことと思ふ。
戦死したならば、御國の為と喜んで呉れ。笑って大東亜建設の投石となって戦死致します。
一枝や淳、又、生れ来る子供のことを思ふと夫として、又、親として何らの責任も果たさず、幸福にさせることが出来なかったのを唯一つ心に残り、可愛さうに思ひますと共に、済まない思ひが致しますがこれも御國の為と泣かずに喜んで呉れ。
たとへ、此の身は戦場に於て露と消へても、魂となって祖國を守り一枝や淳、又、生まれ来る子供を守って居ります。
信じ切って居る一枝。私が常に言って居る様に、正しい道をふみ行なって天地に恥じざる行動をとっていただきたい。
淳と生まれ来る子供を立派に教育し育て、家を継がせて呉れるのを草葉の蔭から祈って居ります。逢ひたくば、靖國の杜に来て呉れ。待って居ります。
                 武 男

昭和十九年五月二日
一 枝 殿

  【平成二十六年七月靖國神社社頭掲示】

新生を信じやう(遺稿)

2014年7月7日 月曜日

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陸軍憲兵軍曹(中支派遣参謀部嘱託) 黒沢 次男 命
  昭和二十二年八月十二日
  上海にて法務死
  栃木県黒羽町出身
  三十四歳

遺稿
 夕暮れが来ると私は今日だけはやつと死なずにゐたと思ふ。そして宵闇が迫る頃は明日の心構をせねばならない。朝が来ると着てゐるものを全部取りかへて素裸になつて冷水で体をふき清潔なものを身につける。洗面と同時に洗濯、さあ今日は来るかと、机に向かつてうわ言集を書く。歌を作る。そして昼まであと二、三時間ある。そして夕方を迎へる。
 こんな張り詰めた生活、満月に引きしぼつたやうな心の緊張を保ち乍《なが》ら送る一日、私は幾日、幾十日、この生活をつヾけなければならないのだらう。一日、一日の集積が人生であるとは云へ。

         ―― ◇ ―― ◇ ――

 この一瞬々々を積みて一日として生きてゐる現在、この瞬間々々を刻む秒は私の生命に喰入つてゆく。恐らく死の陰惨さのみに心を注いでゐなくてはならないとしたら発狂してしまうだらう。永遠の沈黙のみに戦慄してゐるならば窒息してしまふだらう。恐れてはならない。戦慄してはならない。目先の現象にも心患《わずらわ》して迷ふ心。
 見よ、十万年前の夕空もきつとこんなに美しくあつたらう。百年前の雲もきつとこんなに輝しかつたらう。またヽく星、美しき月、かれんな虫の声、自然はわれには少しもかヽはりはない。
 うたかたの人生に悲しみ歎きて永遠を見得ざるわれ、この室に挿されたくちなしの花とてやがては散る。然れども来る夏には再び花を開きて芳香を放つであらう。昨夜のけらは死んでしまふかも知れないが新しいけらがまた昨夜と同じやうにまた鳴いてくれるであらう。われら人間とて永遠に絶える事はあるまい。再生を信じやう。新生を信じやう。理論も理窟もいらない。この小さなくちなしの花の美しい生命と、この毎晩鳴いてくれるけらの生命の根底がわかるまでは、人が生まれてくる生命の神秘が実証されるまでは、私は無条件で再生を信ずるより外はない。これを否定する何ものもない。息詰るやうな苦しみはたヾ生の欲求のみがなせる業だ。何番何番と、死の伝令の呼出しが来れば、私は静かに再生の第一歩をこの監房の扉より踏み出すであらう。その時は、絶対感のみが支配する。
  (後略)

  【昭和四十一年五月靖國神社社頭掲示】

遺 書

2014年6月16日 月曜日

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陸軍中尉 阿部 司郎 命
  昭和二十年六月五日
  三重県紀伊長島町熊野灘沖合にて戦死
  神奈川県相模原市上鶴間出身
  二十三歳

天皇陛下萬歳
皇國永遠の発展を祈り奉る。
明野戦闘隊、皇軍戦闘隊の発展と各位の御健康を
祈る。
同期生各位の健康と発展を祈り、永き交友を謝す。

両親宛
平素の御教訓に遵《したが》ひ、司郎は喜びて皇國の為に死
す。乞《こう》安心。
生存中は直接何等の孝養を盡《つく》し得《え》ざりしも、大孝
の道に死したるは、御両親様も満足の事と拝す。
陛下の御為、國の為、不肖なる我が身が御役に立
ちますこと司郎最大の嬉悦《きえつ》を感じます。
七生報國の覚悟なれば、此の次生まれ来たる時に
は必ず膝下《しっか》に参ぜん。
祈御健康。

              阿部 司郎

  【平成二十六年六月靖國神社社頭掲示】

遺 言 書

2014年5月19日 月曜日

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陸軍准尉 喜多 富夫 命
  昭和二十一年五月二十三日
  シンガポール・チャンギーにて法務死
  大阪府茨木市大字道祖本出身
  三十歳

国に生を禀《う》け最後の筆を執る。
拾有余年、軍隊生活を満洲、支那に将又《はたまた》南方戦線に移戦、敢闘茲《ここ》に御慈悲深き御両親、血肉分けたる兄弟及び妻子より先逝し、従容《しょうよう》として死に就き国家の礎となる。
思ふに生を稟《う》くる間、御情け深き御両親の御意志にも副《そ》ひあたはず、実に申訳なく存じます。
脳裏を故郷に回顧せば隆々たる喜多家に生ひ立ち、彼の家屋、彼の門其の幼相面影懐かしく、唯感慨無量に堪へず、私の死は決して万人に恥づる事なきを堅く誓ふ。
細部は必ず誰か達すると思考するも、天は知り神も能《よ》く能く御存じの筈です。私生存中の気質承知の筈、信じて下さい。唯々世間に与へる風評其れのみが非常に心配であり、心残りであります。
亦、血肉わけたる兄弟の安否を気遣ふ。
 沖縄九州方面に奮戦中の吉治兄は?  原子爆弾に依る広島の敏時兄は?
 ビルマ方面に勇戦敢闘中の一夫弟は? 国土防衛空の荒鷲の勉弟は?
皆夫々推察する時、生死を超越し御両親の御膝下《しっか》に帰しあるを神掛けて祈るのみです。
(中  略)
命日は昭和二十一年五月二十三日と思考。連合国軍より遺品として将校用絨製《じゅうせい》軍衣袴(私製)を送付せられる筈。当服は小官常時着用せるものであります。
最後に喜多家御一同様の隆替《りゅうたい》と万福を祈り、之を守護す。
  昭和二十一年五月二十三日 三時書く
               陸軍准尉 喜多富夫
喜多佐太郎様
同  キト様
御一同様

  【平成二十六年五月靖國神社社頭掲示】

人類は何故戦ひ血を流さねばならぬか(遺 書)

2014年4月7日 月曜日

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陸軍大尉 竹内 惠 命
  歩兵第八十二聯隊
  昭和二十年三月十日
  仏領印度支那ハノイ附近にて戦死
  東京都出身
  二十九歳

 遺書

 私は今静かな気持で此の書を認《したた》めることの出来る時と機会とを得た事を実に幸福に思ふ
 私は過去三年の間、南洋諸島に於けるあの血みどろな日米決戦の実体に遂に触るゝ事なく尊い同胞の流血を唯凝《じ》と眺めてゐた 此間私の心は常に何か堪へられない、何かせめられ追はれる様な焦燥と、部隊の任務の為と云ふ美名に隠れ安易に就かんとする怯懦《きょうだ》とが烈しい相剋を続けてゐた 自分には信念がないと悲しく思つた 軍人として不逞の徒であると思つた 私は淡々として而《しか》も磐石の如き亦燃ゆるが如き雄々しく逞《たくま》しい信念の持主になり度いと自ら願つたそして焦つた 私は周囲にある本を漁り読んだ 陳腐ではあるが眞に時局を認識したいと思つた そして勉めた 其結果此世界動乱が何を意味するか 其実体が何であるか 人類は何故斯《か》く戦ひ血を流さねばならぬかを私自身の心の中に摑むことが出来た様な気がする(中略)
 私は此の歴史の選んだ方向に道を神州日本が、一億皇國臣民が一路驀《ばく》進する光景を、姿をはつきりと見た 私は信念を得た 私は戦ふ そして我々は勝たねばならぬ 亦我々は勝つことを信じねばならぬ(後略)

昭和二十年三月一日
          陸軍中尉 竹内惠

  【平成十六年五月?國神社社頭掲示】

笑って護国の花と散ります

2014年3月17日 月曜日

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陸軍上等兵 ?山 晴次 命
  昭和十七年三月七日
  ビルマ国ペグーにて戦死
  香川県小豆郡四海村出身
  二十四歳

母上様。長らく御世話に成りました。
此の二十一年間、何一つ喜ばし、又、安心させた事もな
く、只御心配ばかり掛けまして誠に申訳御座居ませんが、
日本男子と生れて国防の第一線に立ち、男として一花咲
かせます。東洋永遠平和の為、散らして行きます。此れ
日本男子の本懐で有ります。
すでに母上様も入営当初より御覚悟は出来て居る事と思
ひますれば、私も何一つ思ひ残す事なく、笑って護国の
花と散ります。
なほ、もし私の骨が帰ったなれば只一言、よく死んで呉
れた。あっぱれと褒めて下されば、なほ嬉しく思ひます。
私の石碑は、ほんの印《しるし》だけで結構です。故、残金は全部
国防献金して下さい。
(中略)
茂君も丈夫で、立派な帝国海軍軍人と成って、海に活躍
せられん事を祈る。
孝江も真面目に働いて良き夫に付き、幸福に暮らされん
事を草葉の陰より祈る。
又、兄上様一同に色々と心配を掛けた晴も、だうやら一
人前の日本男子と成った様です。
私も此れに越したる喜びは有りません。
だうか母上様をよろしく御頼み致します。(後略)

                      晴 次
母兄弟妹様

  【平成二十六年三月靖國神社社頭掲示】

六月のチラン(祖國よさらば)

2014年2月3日 月曜日

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陸軍大尉 枝 幹二 命
  第六航空軍司令部
  昭和二十年六月六日
  沖縄方面にて戦死
  富山県出身
  二十三歳

(六月五日)
あんまり緑が美しい
今日これから死に行くことすら忘れてしまひさうだ
眞青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲 六月のチランはもうセミの声がして夏を思はせる

“小鳥の声がたのしさう俺もこんどは小鳥になるよ”日のあたる草の上にねころんで杉本がこんなことを云つてゐる笑はせるな

本日一四、五五分
いよいよ知ランを離陸する なつかしの祖國よ
さらば
使ひなれた万年筆を“かたみ”に送ります。

  【平成十五年六月?國神社社頭掲示】

書き遺す事

2014年1月20日 月曜日

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陸軍上等兵 吉野 浩藏 命
  昭和二十一年一月三十日
  ソ連シベリャセミノフカ地区
    第十二収容所にて戦病死
  新潟県柏崎市日角出身
  二十一歳

此の期に及んで何も書き遺す事も御座なく候へども、此の世の名残に一筆書き残し候。
万一小生戦死の報行くも、小生は欣然《きんぜん》として国難に殉じ、笑って帝国の礎石となり候間、決して嘆く間敷《まじく》候。
顧れば生を受けてより二十年、只御厄介になるのみにて、何一つとして親孝行も致さず、今更ながら後悔の外無之《これなき》候。
然しながら忠孝一本とか君に忠なる事、即ち親に孝と存じ候。
我軍の戦況、愈々不利に相成候へども、小兵等は日本の国民として情勢の如何に拘らず全力を尽して、自己の任務に邁進すべきと存じ
候。
夜青白き月光の木陰よりもるゝを見れば、想ひは遠く故郷の空にはしり申し候。
小生の亡き後も皆様には、帝国軍人の遺族として見苦しき事のなきやう、勝利の日迄仇敵米英の撃滅に邁進致され度候。
簡単乍《なが》ら右を以て遺書と致し候。
 
昭和二十年六月二十一日 十四時
      箇山(済南の南約十五里)にて
      雨の音を聞きつゝ
                          吉野浩藏

  【平成二十六年一月?國神社社頭掲示】