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遺書

2014年8月18日 月曜日

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海軍兵曹長 庄司 猛夫 命
  昭和十九年十一月二十一日
  フィリピン東方海面にて戦死
  福島県岩城郡内郷町出身
  二十七歳

我今より我が大日本帝国の決戦場に向ふにあたり一言遺言す。
我もとより戦場に向ふに心残りなし。今大君の御為、大和民族の盾となれるを喜ぶ。家人よ嘆く勿れ、むしろ祝すべし。
我が家にも名誉の戦死の記されることを地下より喜ぶ。
二十六年の間、海よりも深き父母の恩に報い得ざるは、残念なり。
残る弟妹達、兄たる小生の分も孝行されたし。
節子よ、兄の墓は敵の重艦で大きく立派なものだ。
此の海を今にお前たちが船に乗って通ることもあるでしょう。
兄は喜んで見上げるよ。
母さんに孝行、父の言を守り弟妹共の指導をたのむ。
(後略)
  昭和十八年一月十日 

  【平成二十六年八月靖國神社社頭掲示】

妹への便り

2014年2月17日 月曜日

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海軍二等整備兵曹 宗像 富男 命
  昭和十九年二月六日
  南洋群島にて戦死
  福島県石川郡蓬田村出身
  二十四歳

喜久ちゃん、しばらく。御無沙汰しましてすみません。
私もますます元気で御国の為に働いてゐますが、喜久ちゃんは元気ですか。
さうして毎日学校に通ってゐますか?
月日の経つのは早いものですね。御別れしてから早二年。
その間によく先生の言ふ事、御父さん御母さんの言ふ事を聞いて立派に、そして大きくなったでせう。
あへるものだったら本当に逢ひたいです。
今はいそがしいから学校から帰ると子守でせう。
でも子守をしながらでも良く勉強しなくてはだめですよ。
コウちゃんも元気でせう。
みんな仲良く暮しなさいね。
では又、何時《いづ》れ。

  【平成二十六年二月靖國神社社頭掲示】

涙の出る限り泣いてください

2010年3月18日 木曜日

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涙の出る限り泣いてください

       海軍大尉 橋 本 光 雄 命
       昭和二十年三月十一日
       インドシナ東方海上にて戦死
       福島県双葉郡久之浜町出身 二十六歳

光雄、このたび海軍予備学生に志願中のところ、採用予定者として一週間の後、家郷を出でんとす。(中略)
世人或は云はん。何も大学まで進みながら、最も危険なる航空に志願せずともよろしからんにと。されど大学は立身出世の為の大学にあらず。祖国日本なくして大学なく、祖国なくして家もなし。(中略)
世人或は云はん。光雄一人くらゐ志願せずともよろしからんにと。
されど皆かく考へるに至らば、最後には祖国を護る者、遂に一人も残せざるに至るべし(中略)
光雄は祖国の急を救ふため、男子の本懐として雄躍征って参ります。(中略)

光雄が死ぬときは
天皇陛下萬歳
大日本帝国萬歳

と呼んだら、すぐ心の中で母ちゃんと呼びます。心の中で呼んでも母ちゃんにだけは聞こえる様に呼びます。(中略)
人様の居らぬ所ではいくら泣いても良いです。お父さんは怒るかも知れませんが、お父さんだって泣きたいのを男だから痩せ我慢して居るだけでせう。かまはぬからお二人で涙の出る限り泣いてください。(中略)

生涯(こしかた)を
 光雄(われ)の将来(ゆくへ)に捧げたる
  母が慈愛(なさけ)に何と報(こた)へん

(中略)

昭和十八年九月一日
御両親様 

【平成二十二年三月靖国神社社頭掲示】