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遺 書

2014年11月17日 月曜日

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海軍二等機関兵曹 姫野 清馬 命
  昭和十七年七月五日
  アリューシャン列島アガツ島付近にて戦死 
  福岡県糸島郡福吉村出身
  二十六歳

母上様には、色々と御心配を掛けまして申し訳
ありません。
海軍軍人となったこの上は、誠心誠意奮闘する
覚悟です。
軍人たる者何時身を捨つることあるや、今から
決心してゐます。
母上様の並大抵ならぬ苦労は、身に沁みて有難
いと思ってゐます。
小生今までの御不孝をお許しください。
「一死報國」以って繕はして戴きます。
 母上様に対して深甚の感謝を捧げます。
                     敬具
  昭和十一年五月三十日
                  姫野清馬
母上様

  【平成二十六年十一月靖國神社社頭掲示】

遺言

2013年4月15日 月曜日

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陸軍中尉 長崎 太郎 命
       昭和二十年四月十六日
       ニューギニア、パンガンにて戦死
       福岡県宗像郡福間町出身
       二十五歳

御両親様。太郎ハ、オ先キニ逝キマス。
二十三才ノ今日マデノ御恩情ニ、ムクユルコトナク不孝之罪、御赦(ゆる)シ下サイ。
御両親様ニハ、入営ヨリ御覚悟ノコトト思ヒマス。
太郎ハ、父上ノ子デモナケレバ、母上ノ子デモアリマセン。
御天子様ノ赤子(せきし)デス。太郎ハ、二十一才ニテ長崎家ト別離シマシタ。
家ニハ正ガ居マス。弟達ガヰマス。長崎家ノ将来ハ万々歳デス。
ミツエモ、母上ヲオ助ケ申シテクレ。
妹弟ノ者ニモ兄トシテ、何ニ一ツシテヤルコトモナク、済マナカッタ。
之カラ兄ノ分マデ、皆デ仲良ク御両親様ニ孝行タノムヨ。
病気スルンヂャナイゾ。仲良クナ。
申シ上ゲルコトモアリマセン。長崎家之万福ヲ祈リマス。
   昭和拾八年一月五日
                            長崎太郎
    長崎家御祖先様
    長崎武雄 様
    長崎タマノ様
    長崎ミツエ殿
    長崎 正 殿
    長崎哲也 殿
    長崎俊之 殿
    長崎正幸 殿

   【平成二十五年四月靖国神社社頭掲示】

遺書

2012年12月17日 月曜日

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陸軍少佐 山本 卓美 命
  昭和十九年十二月七日
  比島レイテ島付近にて戦死
  福岡県糸島郡前原町出身
  二十一歳

父上様
母上様

                     卓美ハ
オ先ニ失礼致シマス。
二十有余年ノ間、此ノ上ナク可愛ガッテ頂キマシタ。
山ヨリモ高ク、海ヨリモ深キ養育ノ御恩ニ何等報
ユル所ナク、御心配ヲカケ通シテ参リマシタガ、
今ヤ御恩ノ万一ニ報ユル時ガ参リマシタ。
光栄アル八紘隊長ニ選バレ、南海ニ水漬ク屍トナ
ルハ男子ノ本懐、只々感謝感激ノ外アリマセン。
信ズルハ 皇国ノ必勝
祈ルハ  皇運ノ無窮
靖国神社デ、オ待チ致シテ居リマス。
御両親様、幸福ニ御暮シ下サイマス様、心ヨリ祈
リ上ゲマス。
  昭和十九年十一月三十日

                    山本卓美

   【平成二十四年十二月靖国神社社頭掲示】

弱い心をお笑ひ下さい(軍服を脱いで行きます)

2012年12月3日 月曜日

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海軍大尉 旗生 良景 命
  神風特別攻撃隊八幡神忠隊
  昭和二十年四月二十八日
  南西諸島にて戦死
  京都帝國大學卒
  福岡県出身
  二十二歳

四月十六日
 今日は未だ生きてをります。昨日、父さん、母さん、兄姉にも見送つて頂き、全く清らかな気持で出発できました。
 敏子にお逢ひになつた由、皆何を感じられたか知りませんが、心から私が愛した、たつた一人の可愛い女性です。純な人です。私の一部と思つて何時までも交際して下さい。葬儀には是非呼んで下さい。
 お父様、お母様。本当に優しく心から私を可愛がつて頂きましたこと有難く御礼申します。私は一足先に死んでゆきますが、私が、あの弱かつた私が國に殉ずることを喜んで下さると思ひます。長い間御世話になり何一つ喜んで頂く様なことも致しませず相済まぬと思つて居ります。私の死はせめてもの恩返しと思つて下さい。
四月十七日
 今日も生きてゐます。皆に逢へて安心です。心に残るは敏子のことのみ。弱い心をお笑ひ下さい。然し死を前にして、敏子に対する気持の深さを今更の様に驚いてゐます。人間の真心の尊さを思つて下さい。
四月十八日
 軍服を脱いで行きます。真新しいのが行李(こうり)の中にありますから、それを家に、古い方を敏子に送つて下さい。必ずお願ひします。
 戦死がわかりましたら一度家に呼んで遺書等と一緒にお渡しになれば良いと思ひます。

   【平成五年十二月靖国神社社頭掲示】

決戦場へ征きます

2012年9月17日 月曜日

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陸軍軍曹 藤好 京介 命
  昭和十九年九月三十日
  東部ニューギニアにて戦死
  福岡県三池郡高田村出身
  二十七歳

御父上様。
御母上様。
京介は、愈々日本男子として、決戦場○○へ征きます。
電撃的出撃に、光栄と希望と武者ぶるひにて、この筆をとって居ます。
今、静かに生立ちを振り返る時、生を享けて二十六年の今日迄、御両親様には取り分け御心配の掛け続けにて、御高恩の万分の一も御孝養出来なかった豚児(とんじ)を御許し下さい。
何卒、呉々も御自愛になり、健やかな日を御過し遊ばす様、心より御祈り致します。
それから、自分の今後に於ける一切の事柄に関する処置は、総て御両親様に御任せ致します故、宜しく御取計り下さいませ。
又、松田様始め、私が今迄に御世話になりました方々には、御両親様より宜しく御伝へ下さいませ。
中林町の伯父上様にも御高齢の事とて、折角の御自愛と私の感謝とを御伝へ下さいませ。
最後に重ねて御両親様始め、兄上様方妹達の御健康とを祈って筆を擱(お)きます。
   昭和十八年○月○日
                             藤好京介
藤好虎秀様
藤好タキ様

最後の外出は、とても愉快でした。ブドー酒の乾杯で幸先よいです。

  【平成二十四年九月靖国神社社頭掲示】

遺書

2012年3月19日 月曜日

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海軍少佐 末吉 實 命
  昭和二十年四月六日
  南西諸島方面にて戦死
  海軍第十三期飛行予備学生
  浜松高等工業学校
  福岡県小倉市出身 二十五歳

 突然でさぞお驚きの事と存じますが、愈々私も身
を以て國難に当る時が参りました。只今本隊より懐
しい名古屋を右に見てこの鈴鹿空に到着、愛機即ち
棺桶の中で之を書いて居ります。
 思へば二十有五年間の筆舌に盡せざる御慈愛と御
苦労に何等報ゆる處なく親不孝の数々、誠に何と御
詫びしてよいやら、一人涙がにじむのみです。御蔭
様にて私も他より先に中尉に進級致し、只今では神
風特攻隊第二筑波隊々長として同期の櫻を率ゐて敵
空母に体当りする機会を得ました。男子の本懐之に
過ぐるものはありません。必ず兄上の仇は引受けま
した。明日の戦果を御期待下さい。
 出撃数日前に家の焼失を知りました。うち続く打
撃でさぞ御落胆なさる事と存じますが、何卒お力落
しの無い様、近所の人達と協力、復興にお勤め下さ
る様御願ひ致します。何事も気の持ち様ですから、
しつかりした気持で天壽を完うされん事を最後迄祈
つて居ります。ではそろそろ転進の時間が来ました
ので之で失礼を致します。
                   不 一
 昭和二十年四月五日 午後二時
                   實 拝

御両親様
 只今より必死必殺の攻撃に征く 心の平静たる
 本日の空の如し 白木の箱の整備なる
 いざ 征かん南の空へ
吾が予定突入時刻
 昭和二十年四月六日 一七・〇〇
  潔く散れや 筑波の若櫻       以 上

       【平成十年四月靖國神社社頭掲示】

親不孝の連續でした

2011年12月15日 木曜日

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親不孝の連續でした

  陸軍兵長  石嵜 享 命
  陸軍甲種幹部候補生 歩兵第四百五十三聯隊
  昭和二十年八月五日
  宮崎県宮崎郡住吉村にて戦死
  福岡県出身 二十歳

 遺 言

 日本男児の本懷(かい)たる入隊の報必ずや来るものとは覚悟はしてゐました。なれどもかくも早きとは思ひもかけず、心も身体も確と固まつてはゐません。
 生を享けてより満十九。小学生迄の幼年時代は色々父上母上には、血の思ひの程。小生腕白なでば手の事など、ほんたうにどれだけ心配をかけたか。
   (中略)
 親不孝の連續(ぞく)でした。だが今日入営しましたなれば、十分身体には気をつけます。なでどももし身体が悪くなれば仕方なし。身体續(つづ)きなば生れかはつて参りませう。父上、母上、姉妹殿、どうか身体を大切に御暮らし下さい。叔父上、叔母上にはよろしく。祖父にも米壽を祝はれるまで永生きをしてください。
 達夫兄にもどうか御頼み致します。乱筆ながら一筆を残す。

 「辞世」
 初櫻身も命も大君の
 みもとにさヽげ我は行くなり

  【平成十八年十月靖国神社社頭掲示】

涙して下さるな

2011年10月1日 土曜日

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涙して下さるな

  海軍一等機関兵  安藤照太郎 命
   昭和十三年十月十六日
   中華民国湖北省西塞山にて戦死
   福岡県京都郡豊津村出身 二十四歳

 暑さも盛りを過ぎて、心持ち涼味を感ずる頃ともなりました。
 其の後、皆様には御機嫌麗(うる)はしく御過しの御事と存じます。
 御陰様にて身体は益々頑健にて御座いますれば御放念に下され度。
 今迄不遇な運命にありましたる私も時機到来、或る方面に転勤する事になりました。
 御老体の両親様並、三ちゃんや良ちゃんには御身体に特に留意せられ、二人には元気に勉強せられる様に。
 一度(ひとたび)戦地へ臨(のぞ)む上は、軍人として愧(は)ぢざる行ひは心に銘じて居りますれば、御安心下され度。
 終りに臨み特に御願ひ致し度は、不幸にして聖戦半(なかば)にて斃(たお)るるとも、家に在りて必ず涙して下さるな。
 此れが臨地(りんち)に向ふ私の唯一の御願ひです。
 笑って迎へて下されば、此に越した喜びは御座いません。
 呉々も涙して下さらざる様御願ひ致します。
 取り急ぎの為、乱筆ながら御通知まで。
 明年は出港の予定。御機嫌よう。
 元気で行って参ります。

               終
 昭和十三年八月十九日
御両親様
    膝 下

  【平成二十三年十月靖国神社社頭掲示】

遺 書

2010年2月18日 木曜日

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遺 書

        海軍大尉 松枝義久命
        昭和二十年二月二十日
        比島 コレヒドール沖にて戦死
        福岡県出身 二十四歳

 生ヲ皇国ニ享ケ天恵洽(あまね)クシテ
 楽々悠々タル二十有余年
 君恩ノ宏遠深厚ナル一死以テ
 酬イントシテ余リアルモノニ候
 義久斯(ここ)ニ大任ヲ拝シ
 恐懼感激措(お)ク處ナク
 唯々身ノ光榮ニ戦(おのの)クモノニ候
 一髪尚軽ク君命ノ重ナル
 今日程痛感セル事ハ御座ナク候
 身更ニ生還ヲ期セズ
 親ニ先立ツ不幸ノ罪何卒御許シ下サレ度候
 鶴脚ノ如ク細キ赤坊ニ
 米汁トギスマシテ含マセラレ
 或ハ病魔ノ拂(はら)ヒニ
 時ヲ屡(しばしば)シテ御両親様ニハ
 幾度カ御心配ヲオカケ申候
 義久今日ノ姿誠ニ御両親様ノ賜ニ候
 兄上様姉上様弟妹ニ対シ我
 生涯ノ恩ヲ謝スルト共ニ
 小生ニ代リテ忠孝ヨク致サルベク御願仕候
 此ノ度ノ戦争ハ百年戦争ニ候ヘバ
 忠ヲ楠氏ニ比シ孝ヲ尊徳ニ比サルベク候
 永ラク御付合ヒ下サレタ皆々様ニ対シ
 宜敷ク御伝ヘ下サレ度
 尚若キ可愛ユキ数百ノ部下ノ
 御遺族ニ対シマシテハ誠ニ気ノ毒ニ候ヘバ
 小生ニ代リテ深ク謝シ下サレ度候
 最後ニ謹ンデ大日本帝国ノ萬歳ヲ御祈リ申上候

     昭和十九年十月         義久

 御両親様

   たのしみは 彼方の空の紅を
     たゞ一すぢに 思ひ込むとき

【平成二十二年二月靖国神社社頭掲示】