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魂は永久に皇國を守る(遺 書)

2013年10月7日 月曜日

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海軍中将 田辺 盛武 命
  スマトラ方面第二十五軍司令
  昭和二十四年七月十一日
  スマトラ島メダンにて法務死
  石川県出身
  六十歳

 八重子殿。信次殿。盛美殿。山口紀代子殿。愈々《いよいよ》最後の判決を受けました。予《か》ねて覚悟致し居りし事とて別に驚きも悲しみも致しません。小生少しも人道に反したこと無きは勿論、如何なる罪を受くべき何ものも無き故、御一同には小生の家族として少しも卑屈なる考へを持つ必要はない。小生は全スマトラの最高責任者として其の責任を喜んで負つた迄であると云ふ誇りさへ持つてゐる次第である。終戦当初敗戦の責任を痛切に感じ自決して其の責を負ぶことも考へたが、全スマトラ十万の部下将兵を無事に祖國の妻子、両親の許へ帰らす事こそ小生に残された使命と信じ「死は易く生は難し」この古き諺に名を捨て恥をも忍び、部下将兵を一人でも多く助けんと心血を注ぎ今日に至りたる次第にて、これが最善の途であつたと今も信じてゐる。小生とても私情生を得たき事は人間である以上変りはない。殊に恩愛の情浅からぬ御一同の事を思ひ、其の心情を察する時、誠に断腸の思ひがする。然《しか》しながら昔より一城の主が降伏する時、主将は自決して其の首を呈するのが習《ならはし》である。神の摂理は有難きもので、私の不幸は必ず子孫への幸福として返るであらう。
 而《しか》も今日の不幸は真の不幸ではない。何十年後に之を見れば皇國の為に今一命を捨つるが幸福か或は又今十年生き長らへて空しく畳の上で死するのが幸福かと考へれば云はずとも知れた事である。又逸早《いちはや》く靖國の社頭に於ていとしき長男信と会ふ事も出来る。私は今神仏の加護により彼岸に臨んで安心立命して居る。又肉体は亡びても魂は永久に皇國を守り、天子様をお守り申すであらう。私は日本の歴史に永久の名を残し得たことを喜びつつ死につく。
最後に当り御一同の幸福を祈り又在生中御厚誼《ごこうぎ》戴いた方々の御恩を感謝します。

  あな嬉し慈光《じこう》遍《あまね》く身に浴びて
    仰ぐ彼岸は清くかかりけり
  名もすてし朽木《くちき》の桜時を得て
    又咲き匂ふ春は来れり

  【平成九年七月靖国神社社頭掲示】