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我は御國の山桜(出撃に際して)

2014年10月6日 月曜日

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海軍少佐 緒方 襄 命
  神風特別攻撃隊神雷部隊桜花隊
  昭和二十年三月二十一日
  沖縄方面にて戦死
  海軍第十三期飛行科予備学生
  関西大学
  熊本県出身
  二十三歳

懐しの町 懐しの人
今吾れすべてを捨てて
國家の安危に
赴かんとす
悠久の大義に生きんとし
今吾れここに突撃を開始す
魂魄《こんぱく》國に帰り
身は桜花のごとく散らんも
悠久に護國の鬼と化さん

いざさらば 我は御國の山桜
母の身元にかへり咲かなむ
          海軍中尉 緒方 襄

  【平成九年三月靖國神社社頭掲示】

犠牲ヲ踏ミ越エテ突進セヨ(水漬く屍………海底の遺書)

2014年8月4日 月曜日

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海軍少佐 樋口 孝 命
  昭和十九年九月六日
  徳山湾にて特攻兵器「回天」
  第一号を操縦訓練中、
  黒木博司少佐と共に殉職
  東京都中央区出身
  海軍兵学校卒
  二十三歳

  指揮官ニ報告
予定ノ如ク航走、一八一二潜入時突如傾斜DOWN二〇度トナリ海底ニ沈坐ス。其ノ状況、推定原因、処置等同乗指導官黒木大尉(少佐)ノ記セル通ナリ。事故ノ為訓練ニ支障ヲ来シ洵《まこと》ニ申訳ナキ次第ナリ。
  後輩諸君ニ
犠牲ヲ踏ミ越エテ突進セヨ、
七日〇四〇五呼吸困難ナリ、
大日本帝國万歳三唱ス。戦友黒木ト共ニ。
訓練中事故ヲ起シタルハ戦場ニ散ルベキ我々ノ最モ遺憾トスルトコロナリ。
然《しか》レドモ犠牲ヲ乗越エテコソ発展アリ、進歩アリ、庶幾《こひねがは》クバ我々ノ失敗セシ原因ヲ探究シ、帝國ヲ護ルコノ種兵器ノ発展ノ基ヲ得ンコトヲ。
 周到ナル計画、大胆ナル実施、生即死、〇四四〇、
 國歌奉唱ス〇四四五、
 〇六〇〇猶《なほ》ニ人生ク、行ヲ共ニセン
 大日本帝國万歳 〇六一〇、
  十九年九月六日
            海軍大尉 樋口  孝

  【昭和四十一年十一月靖國神社社頭掲示】

日本は今疲労してゐる(今朝、特別攻撃隊の申渡しあり)

2014年6月2日 月曜日

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海軍大尉 飯沼 孟 命
  神風特別攻撃隊第二魁隊
  昭和二十年五月十一日
  南西諸島方面にて戦死
  横浜専門学校
  海軍第十三期飛行科予備学生
  神奈川県横須賀市公卿町出身
  二十四歳

(四月十二日)
 本日朝、佐波大尉他○○○名の特別攻撃隊申渡しあり、私もその一員として加へられた。遂に正式に特攻隊員となつたのだ。
 もはや何ものも無だ。何も考へるまい。純一無雑で突入しやう。沖縄ではかうしてゐる間にも、幾つかの生命が敵空母と運命を共にしてゐるのだ。
 日本だけにしかない特攻隊、日本は今余裕が欲しいのだ。
 比島レイテ、硫黄島、西南諸島と、相続いての死闘に、日本は今疲労してゐる。この疲れを取り返すためには、西南諸島方面の敵艦船を全滅さすことだ。(中略)
 人生五十年、その半分の二十五年を無事に生き抜いたことを思へば不思議なくらゐだ。子供の頃が思ひ出される。
 三月十七日三浦君に会つたが。これが最後であらう。三浦君も遠からず征《ゆ》くであらう。
 突込む時は、どんなものであらうか?
 さつぱりした何とも云へぬ気持だらうと思ふのだが、何となく気にかゝる。(後略)

  【昭和四十七年七月靖國神社社頭掲示】

一兵士の死をこの上なく尊く思ふ(遺書)

2014年5月5日 月曜日

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海軍大尉 溝口 幸次郎 命
  神風特別攻撃隊
  昭和二十年六月二十二日
  沖縄方面にて戦死
  静岡県出身
  中央大学
  二十二歳

遺書
  (一)
 美しい祖國は、おほらかな益良夫《ますらお》を生み、おほらかな益良夫は、けだかい魂を祖國に残して、新しい世界へと飛翔し去る。
  (二)
 「現在の一点に最善をつくせ」
 「只今ばかり我が生命は存するなり」
とは私の好きな格言です。
 生れ出でゝより死ぬる迄、我等は己の一秒一刻に依つて創られる人生の彫刻を、悲喜善悪のしゅらざうをきざみつつあるのです。私は一刻が恐しかつた。一秒が重荷だつた。もう一歩も人生を進むには恐しく、ぶつ倒れさうに感じたこともあつた。しかしながら、私の二十三年間の人生は、それが善であらうと、悪であらうと、悲しみであらうと、喜びであらうとも、刻み刻まれて来たのです。私は、私の全精魂をうつて、最後の入魂に努力しなければならない。
  (三)
 私は誰にも知られずにそつと死にたい。無名の幾万の勇士が大陸に大洋に散つていつたことか。私は一兵士の死をこの上なく尊く思ふ。

  【昭和三十八年七・八月靖國神社社頭掲示】

六月のチラン(祖國よさらば)

2014年2月3日 月曜日

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陸軍大尉 枝 幹二 命
  第六航空軍司令部
  昭和二十年六月六日
  沖縄方面にて戦死
  富山県出身
  二十三歳

(六月五日)
あんまり緑が美しい
今日これから死に行くことすら忘れてしまひさうだ
眞青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲 六月のチランはもうセミの声がして夏を思はせる

“小鳥の声がたのしさう俺もこんどは小鳥になるよ”日のあたる草の上にねころんで杉本がこんなことを云つてゐる笑はせるな

本日一四、五五分
いよいよ知ランを離陸する なつかしの祖國よ
さらば
使ひなれた万年筆を“かたみ”に送ります。

  【平成十五年六月?國神社社頭掲示】

如何にして美しい死に方をするか(死を前に)

2013年12月2日 月曜日

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海軍大尉 島 澄夫 命
  神風特別攻撃隊
    第三「八幡護皇隊」艦爆隊
  昭和二十年四月十六日
  南西諸島方面にて戦死
  慶應義塾大學卒
  海軍第十四期飛行科予備学生
  神戸市灘区赤松町出身
  二十五歳

 人間は無から生れて無に帰る。
人間は、如何にしていきるかといふことよりも、むしろ如何にして美しい死に方をするかを探し求めてゐる。
 人間は、自分の生活に未だ美しい夢が残されてゐるうちに死ぬのが、人生の一番幸福な生き方ではあるまいか。
 人間といふものは、何時でも楽に死ねるといふ確信がついて来ると、却《かえ》つていつでも生きてゐたくなるものだ。
 どんな悲しいことも、苦しいことも、割合平気で押しこらへて行くことが出来る。死は一切を清算する。そこには苦しみも、悲しみも、淋しさも存在しない。故に生きてゐる中にうんと苦しんでみやう。悲しんでみやう。
 かく考へれば、一日一日の生に脈々たる勇気が湧き非常に明るい世界が見出されたやうな気がする。腹の底から笑つてみたいやうな、愉快な気持になる。

  【昭和四十六年三月靖国神社社頭掲示】

無に近い境地です(最 後 の 筆)

2013年6月3日 月曜日

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海軍少佐 都所 静世 命
  回天特別攻撃隊
  昭和二十年一月十二日
  ウルシー海域にて戦死
  海軍機関学校第五十三期
  群馬県吾妻郡原町出身 二十一歳

 蒸風呂の中にゐるやうで、何をやるのもおくくふなのですけれど、やさしい姉上様のお姿を偲びつゝ最後にもう一度筆をとります。(中略)
 三十日の一七〇〇、豊後水道通過、迫り来る暮色に消えゆく故国の山々へ最後の訣別をした時、真に感慨無量でした。日本の国といふものが、これほど神々しく見えたことはありませんでした。神州断じて護らざるべからずの感を一入深うしました。
 姉上様の面影がちらつと脳裡をかすめ、もう一度お会ひしたかつたと心のどこかで思ひましたが、いやこれも私心、大義の前の小さな私事、必ず思ふまいと決心しました。(中略)
 艦内で作戦電報を読むにつけても、この戦はまだまだ容易なことではないやうに思はれます。若い者がまだどしどし死なゝければ完遂は遠いことでせう。(中略)
 生意気のやうですが、無に近い境地です。攻撃決行の日は日一日と迫つて参りますが別に急ぐでもなく日々平常です。太陽に当らないのでだんだん食欲もなく、肌が白くなつて来ました。(中略)
 今、六日の〇二四五分なのですが、一体午前の二時四十五分やら、午後の二時四十五分やらとにかく時の観念はなくなります。
 姉上様、もうお休みのことでせうね、今総員配置につけがありました。ではさやうならします。姉上様の末永く御幸福であります様、南海の中よりお祈り申し上げます。
  一月六日
 姉 上 様              静 世

  【昭和四十三年一月靖國神社社頭掲示】

弱い心をお笑ひ下さい(軍服を脱いで行きます)

2012年12月3日 月曜日

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海軍大尉 旗生 良景 命
  神風特別攻撃隊八幡神忠隊
  昭和二十年四月二十八日
  南西諸島にて戦死
  京都帝國大學卒
  福岡県出身
  二十二歳

四月十六日
 今日は未だ生きてをります。昨日、父さん、母さん、兄姉にも見送つて頂き、全く清らかな気持で出発できました。
 敏子にお逢ひになつた由、皆何を感じられたか知りませんが、心から私が愛した、たつた一人の可愛い女性です。純な人です。私の一部と思つて何時までも交際して下さい。葬儀には是非呼んで下さい。
 お父様、お母様。本当に優しく心から私を可愛がつて頂きましたこと有難く御礼申します。私は一足先に死んでゆきますが、私が、あの弱かつた私が國に殉ずることを喜んで下さると思ひます。長い間御世話になり何一つ喜んで頂く様なことも致しませず相済まぬと思つて居ります。私の死はせめてもの恩返しと思つて下さい。
四月十七日
 今日も生きてゐます。皆に逢へて安心です。心に残るは敏子のことのみ。弱い心をお笑ひ下さい。然し死を前にして、敏子に対する気持の深さを今更の様に驚いてゐます。人間の真心の尊さを思つて下さい。
四月十八日
 軍服を脱いで行きます。真新しいのが行李(こうり)の中にありますから、それを家に、古い方を敏子に送つて下さい。必ずお願ひします。
 戦死がわかりましたら一度家に呼んで遺書等と一緒にお渡しになれば良いと思ひます。

   【平成五年十二月靖国神社社頭掲示】

嫁ではなく、我子と思つて(妻のことたのみます)

2012年10月1日 月曜日

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海軍工作兵曹長 小笠原 嘉明 命
  戦艦「大和」乗艦
  昭和二十年四月七日
  九州坊ノ岬南方沖合にて戦死
  愛知県出身
  二十九歳

 我、軍人としての本分を立派に果し、神風大和艦上に最期を飾るは、我、無上の譽(ほま)れと深く心に銘記し笑つて死すものなり。
 御両親様、妻愛子は良嫁になかりしが、我の妻で御座居ます。夫婦の契を立て、二世を誓ひし以上は、我と一心同体なりし事は申す迄もないと存じまする。ましてや我は國難に殉じる軍人です。其の家族が軍人の家族らしからぬ事、此の世に多しと承り、此に一言遺書を記すものなり。
 (中略)
一、里方へ歸(かえ)るも可なれど、里方にては御迷惑せられますれば、我家にゐては居辛く本人としては我家を出て靜かに自活したき希望なれば、本人の希望通りに自力自活の道に進む様御願ひ申し上げます。
其の上にて再婚の道有ればお進め下さい。
再婚致す迄は愛子の籍は我が妻として置て戴きたく御願ひ申し上げます。
一、人間は感情の動物なれば、憎きやつと思へばだんだんと遠ざかり、可愛がれば愛子とても孝養せなくてはならなくなると我は存じますれば、嫁と思はず、我子と思はれまして可愛がつて下さいます様御願ひ申し上げます。
 (後略)

  【平成十九年三月靖国神社社頭掲示】

神 州 不 滅

2012年7月2日 月曜日

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海軍大尉 長原 正明 命
  昭和二十年五月四日
  九州南方海面にて戦死
  海軍第十三期飛行予備学生
  関西学院高商卒
  山口県出身
  二十三歳

この度、将(まさ)に皇國の存亡を決する沖縄作戦に選ばれて参加出来、私平常の願望叶ひ、非常に光栄に思つて居ります。
 当地に来てより二十日余りになるのに、不思議に生き永らへ、今だに御奉公いたして居ります。
                 (中略)
 いつ終るとも分らぬこの作戦、今迄生き残つたのが不思議な程です。この言伝(ことづて)が届く頃には、特攻隊でゞも突込んでゐるかも知れません。
 併(しか)し私は幸福です。心から喜んで死んでゆけます。
 たゞ父上母上に孝養の万分の一も尽し得ないのを心苦しく思つて居ります。
 神州は不滅です。絶対に日本は負けることはありません。この基地に来て多くの特攻隊員の出発を眼前に見て、この信念は益々強くなるばかりです。
                 (中略)
 どうか國民一致して頑張つて頂きたいものです。特攻隊員の死を無駄にさせたくないものです。
 いろいろ書きたいことはありますが、とにかく男として死場所を得たことをほめてやつて下さい。
                 (中略)
 どうか兄上、良明、裕子、悦子、恭子はじめ皆様によろしく、達者で御暮し下さるやうお祈りいたします。

                   正明

 父 上
     様
 母 上

  【平成元年三月靖国神社社頭掲示】