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絶    筆

2011年5月1日 日曜日

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絶    筆

       海軍大尉  碓本(うすもと)守命
       昭和二十年五月四日
       南西諸島方面にて戦死
       滋賀県大津市下平蔵町出身 二十五歳

拝啓、長い間御無沙汰許(ばか)り致し、誠に申訳ありません。皆々様、何時も御元気の由、慶賀に絶へません。私も元気です。愈々出撃です。長い二十五年、本当に有難う御座居ました。私は悠久の大義に生きて行きます。私の今まで詫間に於ける状況は、私の教へた練習生が、今度大津空へ行きましたから、その練習生から聞いて下さい。
では、皆様いついつまでも元気にやって下さい。
父上、母上、幸子、智、榮子、千ちゃん、皆さようなら。
                                               守

皆々様

荷物の方も行李(こうり)だけは後から送ります。トランクは練習生が外出の時、家まで持って来て呉れます。練習生が遊びに来た時は、可愛がってやって下さい。この練習生は、練習機で離着水だけやって後、取止めになったのです。残念ですが致し方ありません。師範学校の方にも宜敷(よろしく)。川瀬、猪飼の小母さんにも宜敷。

【平成二十三年五月靖国神社社頭掲示】

心身一片の雲なき気分です

2009年3月18日 水曜日

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心身一片の雲なき気分です

        陸軍大尉 寺村 義夫命
        昭和二十年三月二十七日
        比島ルソン島クラーク山中にて戦死
        滋賀県彦根市芹橋町出身 二十八歳

御両親様
前便にて色々申上ました通り、何ら思ひ残す事もありません。北條からの母上様の御便り入手致しました。何から何まで都合よく、本当に小生、幸福者でした。
父上様には愈々御健勝に長生きして下さい。
二十有七年の御教育、今こそ義夫身を以て具現致します。今、故国を離れるに当り、この決戦に参兵出来る身を喜ぶのみです。
戦局、正に皇國興廃の関頭に立ちました。
征きます。攻めてく攻め抜きます。
(中略)
本当に心身一片の雲なき青空の気分です。
征きし報、伝はらば大いに祝って下さい。
では 征きます 御達者で

            義夫
御両親様 

【平成二十一年三月靖国神社社頭掲示】