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可愛い妹へ

2013年10月21日 月曜日

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海軍飛行兵曹長 三上 春治 命
  昭和十九年十月十二日
  台湾にて戦死
  島根県邑智郡口羽村出身
  二十二歳

安ちゃん、懐かしい御便り有難たう。
元気で産業戦士として踏み出した由、兄さんは心から祝福してやる。元来勝気な安ちゃんだから、少々の苦しい事辛いこと位、我慢して御国の為に働くものと確信してゐる。
同封の金はほんのわずかだが、兄さんの心尽しの御祝と思って受取って呉れ。どんな困難なことにぶつかっても、若さと意気で押通す。くよくよ考へたり嫌だと終始思ってやってゐると、仕事に負けてしまふ。
我々日本国民は、皇国に生を承ける喜びと誇りを持って、喜んで難事に当たって行け。環境が変って窮屈なこと、やりにくいこと、又、急に親の下を離れて淋みしい心等、邪魔する目に見へない敵はあるけれど、安ちゃんも三上家の子だ。
兄さん達三人共、立派に軍人として御奉公してゐるのだ。女でも兄達に、なに負けるものかと云ふ旺盛なる負けじ魂で掛って行け。
日本人である以上決して忘れていけない大君の御恩、そして父母の恩、いくら忙しくとも年老いてゐる父母は、口羽の土地から常に安ちゃんのことを心配して居られると謂ふことを忘れず、余暇を利用して家に便りを出せ。(中 略)
戦野の兄二人は、元気で居られるから安心してやれ。兄さんも、今では可愛い雛鷲の教育で忙しいが、至極元気だ。呉々も注意するが、自分の体を傷つけたら、之は大きな国家への不忠だから、充分気をつけて作業に当れ。仕事にやうやく馴れる時、心に大きな隙が出来る。大いに自重してやれ。
末筆だが安ちゃんの健斗を祈る。
可愛い妹へ

     三重県鈴鹿海軍航空隊
     第十二分隊教員室 兄より

  【平成二十五年十月靖国神社社頭掲示】

魂は永久に皇國を守る(遺 書)

2013年10月7日 月曜日

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海軍中将 田辺 盛武 命
  スマトラ方面第二十五軍司令
  昭和二十四年七月十一日
  スマトラ島メダンにて法務死
  石川県出身
  六十歳

 八重子殿。信次殿。盛美殿。山口紀代子殿。愈々《いよいよ》最後の判決を受けました。予《か》ねて覚悟致し居りし事とて別に驚きも悲しみも致しません。小生少しも人道に反したこと無きは勿論、如何なる罪を受くべき何ものも無き故、御一同には小生の家族として少しも卑屈なる考へを持つ必要はない。小生は全スマトラの最高責任者として其の責任を喜んで負つた迄であると云ふ誇りさへ持つてゐる次第である。終戦当初敗戦の責任を痛切に感じ自決して其の責を負ぶことも考へたが、全スマトラ十万の部下将兵を無事に祖國の妻子、両親の許へ帰らす事こそ小生に残された使命と信じ「死は易く生は難し」この古き諺に名を捨て恥をも忍び、部下将兵を一人でも多く助けんと心血を注ぎ今日に至りたる次第にて、これが最善の途であつたと今も信じてゐる。小生とても私情生を得たき事は人間である以上変りはない。殊に恩愛の情浅からぬ御一同の事を思ひ、其の心情を察する時、誠に断腸の思ひがする。然《しか》しながら昔より一城の主が降伏する時、主将は自決して其の首を呈するのが習《ならはし》である。神の摂理は有難きもので、私の不幸は必ず子孫への幸福として返るであらう。
 而《しか》も今日の不幸は真の不幸ではない。何十年後に之を見れば皇國の為に今一命を捨つるが幸福か或は又今十年生き長らへて空しく畳の上で死するのが幸福かと考へれば云はずとも知れた事である。又逸早《いちはや》く靖國の社頭に於ていとしき長男信と会ふ事も出来る。私は今神仏の加護により彼岸に臨んで安心立命して居る。又肉体は亡びても魂は永久に皇國を守り、天子様をお守り申すであらう。私は日本の歴史に永久の名を残し得たことを喜びつつ死につく。
最後に当り御一同の幸福を祈り又在生中御厚誼《ごこうぎ》戴いた方々の御恩を感謝します。

  あな嬉し慈光《じこう》遍《あまね》く身に浴びて
    仰ぐ彼岸は清くかかりけり
  名もすてし朽木《くちき》の桜時を得て
    又咲き匂ふ春は来れり

  【平成九年七月靖国神社社頭掲示】

武家の家人らしくすべし(弟達へ)

2013年9月2日 月曜日

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海軍上等主計兵曹 白井 武男 命

  軍艦「摩耶」乗員
  昭和十七年十一月十四日
  ソロモン諸島方面にて戦死
  茨城県出身
  二十一歳

(前略)
 かはいい弟達、我が家には我が家のハッキリした精神がある。何年か後は貴殿等も軍人に成るはずなり。それまでは一心不乱あの精神守り通すべし。
         (中略)
 軍人としては戦場に臨むからは万一の場合を予期せねば成らん。されど幸にして永らへる者は必ず白井家の意志をガッチリと後世に申し送るべし。
 父母の孝養にいそしむべし。父母の心安ずる事が子としての最大の孝行なり。
 困《くる》しさも難しい所を笑つて切りぬけるべし。己を困難は錬磨してくれる。御互に口をつつしむべし。口はわざはひの素なり。一家の秘は決して外言するべからず。功をほこらず、死を悲しまず、武人の家人らしくすべし。涙は絶対禁物なり。泣くは子供の時なり。泣く分笑ふ事が第一なり。絶対軍人の家人らしく態度を保持すべし。

  【平成十七年十一月靖国神社社頭掲示】

自分ノナマヘカケマスカ

2013年8月19日 月曜日

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海軍上等水兵 吉田 勝 命
  昭和十九年八月十日
  マリアナ諸島方面にて戦死
  東京都北区田端町出身
  三十六歳

明子チャン、大変ニオリコウサンニ、ナッタサウデスネ。
オ父サンハ、ヨロコンデヰマス。
ヨク通子トモ遊ンデヤルトノ事。
オヂイサン、オバアサン、オ母サンノ云フコトヲヨクキイテ、マスマス良イ子ニナッテ下サイ。
オ父サンモ、ココカラ元気ニ、ヘイタイサンニナッテ、見テヰマス。
塗絵タイヘンヨクデキマシタ。
モットモットカイテ、ナニカヒトリデ、カイテ下サイ。
自分ノナマへカケマスカ。
マダムリデスカ。
マタ、オモシロイハナシヲ、タクサンキカセテアゲマス。
通子、順子ニモヨロシク。
                    サヨナラ
                    父ヨリ
明子チャン

   【平成二十五年八月靖国神社社頭掲示】

日の丸と共に生く

2013年8月5日 月曜日

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海軍上等兵曹 坂屋 三治 命
  昭和十八年六月八日
  柱島にて戦死
  岩手県水沢市姉体町出身
  二十六歳

(前略)
 遺言としましては今更申し上ぐることはありません。常日頃話しました
?生死一如《しょうじいちにょ》 我日の丸と共にあり日の丸と共に生くその姿は?國の社頭に薫る一片の桜花《おうか》――?の心境で御座います。
 又遺品も共に太平洋の戦場に消えるものばかりで少しもありません。
 只健康で必勝の信念と斃後而尚《たおれてのちなお》やまざる軍人精神とを以て盡中奉公《じんちゅうほうこう》の誠を盡《つく》し一死もつて國に報ゆる覚悟でありますれば何卒御安心の程を――
 厳寒の折柄御自愛専一にお祈り申して居ります。
 先づは乱文にて一筆啓上と致します。
 母上様を始め皆々様には呉々もよろしく御傳言《ごでんごん》の程お願ひします。

       軍艦陸奥十二分隊 坂 屋 三 治

 徳 治 兄上

  【平成十三年十月靖国神社社頭掲示】

遺書

2013年6月17日 月曜日

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海軍大尉 小野寺 ?治 命
       昭和二十年六月十三日
       沖縄島方面にて戦死
       宮城県栗原郡有賀村出身
       三十九歳

  日本に 生を禀《う》けし 男子が
       御盾となりて 散るぞ嬉しき

生ある者は必ず死す。国難に殉ずるは男子の本懐、之に過ぐるなし。喜んで殉ず。
軍人の妻として、今日あるを覚悟し、決して取乱すべ可らず。
余の亡き後は軍人の妻として、恥かしからざる生活をせよ。
博重は、必ず海陸軍人と致す様、養育すべし。
浩子は、婦女子として恥かしからざる教育を致させ、良縁があったら嫁《とつ》がすべし。
御腹の子供が男子であったら、博重と同様軍人に致し、女子の場合、浩子同様嫁がすべし。
余の亡き後は、速やかに帰郷致し、養父母に孝養を尽すべし。
決して世間の人様から後指を指されない様、心得る可し。
余の肉体は滅す共、精神は護国の鬼と化して朝敵を亡ぼす。
浮世の荒波に打ち勝って、子供の教育に専心すべし。
御前達の幸福を見守る。
右、遺言す。
昭和十五年十一月二十九日
                      ?治
 悦子殿
                      終り
      【平成二十五年六月靖国神社社頭掲示】

無に近い境地です(最 後 の 筆)

2013年6月3日 月曜日

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海軍少佐 都所 静世 命
  回天特別攻撃隊
  昭和二十年一月十二日
  ウルシー海域にて戦死
  海軍機関学校第五十三期
  群馬県吾妻郡原町出身 二十一歳

 蒸風呂の中にゐるやうで、何をやるのもおくくふなのですけれど、やさしい姉上様のお姿を偲びつゝ最後にもう一度筆をとります。(中略)
 三十日の一七〇〇、豊後水道通過、迫り来る暮色に消えゆく故国の山々へ最後の訣別をした時、真に感慨無量でした。日本の国といふものが、これほど神々しく見えたことはありませんでした。神州断じて護らざるべからずの感を一入深うしました。
 姉上様の面影がちらつと脳裡をかすめ、もう一度お会ひしたかつたと心のどこかで思ひましたが、いやこれも私心、大義の前の小さな私事、必ず思ふまいと決心しました。(中略)
 艦内で作戦電報を読むにつけても、この戦はまだまだ容易なことではないやうに思はれます。若い者がまだどしどし死なゝければ完遂は遠いことでせう。(中略)
 生意気のやうですが、無に近い境地です。攻撃決行の日は日一日と迫つて参りますが別に急ぐでもなく日々平常です。太陽に当らないのでだんだん食欲もなく、肌が白くなつて来ました。(中略)
 今、六日の〇二四五分なのですが、一体午前の二時四十五分やら、午後の二時四十五分やらとにかく時の観念はなくなります。
 姉上様、もうお休みのことでせうね、今総員配置につけがありました。ではさやうならします。姉上様の末永く御幸福であります様、南海の中よりお祈り申し上げます。
  一月六日
 姉 上 様              静 世

  【昭和四十三年一月靖國神社社頭掲示】

兄は櫻の木に咲いて居る

2013年4月1日 月曜日

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海軍少尉 服部 壽宗 命
  神風特別攻撃隊「菊水部隊天櫻隊」
  昭和二十年四月十六日
  南西諸島方面にて戦死
  三重県出身
  十九歳

節子殿
 兄は神風特別攻撃隊の一員として明日敵艦と共に、我が愛機雷撃機天山に特攻用爆彈を抱きて命中、男一匹玉と碎《くだ》け散るのだ、最後にのぞみ一筆書遺し置くことあり。
 節子も今では立派な可愛い女学生となつたことであらう。兄は節子の女学生姿が見られずに死んで行くのが残念だ。節子も光輝ある服部家の一女子だ。兄の一人ぐらゐが死んだとて何も悲しみなげく事はない。
 兄は喜んで天皇陛下の為、重大危機に直面して居る日本の為、一億國民の楯となつて散つて行くのだ。少しも悲しまずに笑つて兄の魂を迎へて呉れ。
 (中略)
 兄は常に九段の社の櫻の木の枝に咲いて居る。裏の元屋敷の櫻の木にも咲きますよ。櫻が咲いたら兄だと思つて見て下さい。
 さやうなら。母上を御願ひ致します。
 出撃前夜                          兄
親愛なる妹 節子殿

  【平成十五年四月靖国神社社頭掲示】

決シテ涙ヲ流シテ下サイマスナ

2013年3月18日 月曜日

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海軍少佐 天野 一史 命
  昭和二十年三月十九日
  九州東南方海面にて戦死
  奈良県吉野郡黒瀧村出身
  二十五歳

御父母上様
私ハ此ノ様ナ拙文デモ、今度戦地ヘ出タラ再ビ御出会出来ヌモノト思ヒ、真心コメテ書ク事ノ出来ル資格ニナッタカト思ヘバ、本当ニ感謝ノ念デ胸ガ一杯デアリマス。
中学以来航空ニ志シ、父母ノ了解ヲ待タズ色々ナ心配ヲカケ、決戦ガ血戦ヲ生ンデ、昨夏全学徒ヨリ飛行予備学生ガ募集サレルヤ、小生ノ応募ヲ許シテイタダイタ時ノ喜ビ、先祖代々ヨリ伝ハル至誠尽忠ノ赤キ血ハ躍ルヲ覚ヘマシタ。
而シテ時ハ早クモ一年ハ流レ、艦爆隊士官トシテ近ク決戦ノ大空ヘ飛立ツ事ト相成リ、本ヨリ生還ハ期セズ。(中 略)
想フニ此ノ年マデ私ヲ教育シテ下サレ、父母ノ慈愛ノ下ニ過シタ生活ハ、私ハ本当ニ幸福デアリマシタ。
私ハ此ノ御恩返シハ、只々一身ヲ国ニ捧ゲテ立派ナ死ニ方ヲスレバ、御両親モサゾカシ喜ンデ下サル事デセウ。
一史戦死ノ報ガアリマシテモ、決シテ涙ヲ流シテ下サイマスナ。
一史ノ写真ニ只一言「良クヤッテ呉レタ」ト言ッテ下サレバ、私モ大手ヲ振ッテ靖国神社ヘ行ケマス。
我々青年士官ガ頑張ラナクテハ、他ニ誰ガ元ノ日本ニ戻ス事デセウ。
想ヒ出ハ尽キズ。又、想ヒ出セバ想ヒ出ス程胸ガ一杯デス。
何卒、今マデノ不孝ヲ御許シ下サイ。
御両親様モ御体大切ニ、余生ヲ御送リ下サイ。
   昭和十九年八月二日
       午後四時半 於 書院
御両親様ヘ
    出陣ニ際シ

             海軍少尉 天野一史
【平成二十五年三月靖国神社社頭掲示】

ニイサンガ カタキヲ ウツテヤルカラ(妹へ)

2013年3月4日 月曜日

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海軍少尉 宮崎 勝 命
  神風特別攻撃隊第五神剣隊
  昭和二十年五月四日
  沖縄にて戦死
  三重県松阪市日野町出身
  十九歳

 イモウト ヤスコチヤン
 ヤスコチヤン、トツコウタイノニイサンハ シラナイダラウ。ニイサンモ ヤスコチャンハ シラナイヨ。
 マイニチ、クウシユウデ コワイダラウ。ニイサンガ カタキヲ ウツテヤルカラ、デカイボカンニタイアタリスルヨ。
 ソノトキハ フミコチヤント、ゴウチンゴウチンヲウタツテ、ニイサンヲヨロコバセテヨ。

  【昭和五十一年五月靖国神社社頭掲示】