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遺 言 書

2014年5月19日 月曜日

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陸軍准尉 喜多 富夫 命
  昭和二十一年五月二十三日
  シンガポール・チャンギーにて法務死
  大阪府茨木市大字道祖本出身
  三十歳

国に生を禀《う》け最後の筆を執る。
拾有余年、軍隊生活を満洲、支那に将又《はたまた》南方戦線に移戦、敢闘茲《ここ》に御慈悲深き御両親、血肉分けたる兄弟及び妻子より先逝し、従容《しょうよう》として死に就き国家の礎となる。
思ふに生を稟《う》くる間、御情け深き御両親の御意志にも副《そ》ひあたはず、実に申訳なく存じます。
脳裏を故郷に回顧せば隆々たる喜多家に生ひ立ち、彼の家屋、彼の門其の幼相面影懐かしく、唯感慨無量に堪へず、私の死は決して万人に恥づる事なきを堅く誓ふ。
細部は必ず誰か達すると思考するも、天は知り神も能《よ》く能く御存じの筈です。私生存中の気質承知の筈、信じて下さい。唯々世間に与へる風評其れのみが非常に心配であり、心残りであります。
亦、血肉わけたる兄弟の安否を気遣ふ。
 沖縄九州方面に奮戦中の吉治兄は?  原子爆弾に依る広島の敏時兄は?
 ビルマ方面に勇戦敢闘中の一夫弟は? 国土防衛空の荒鷲の勉弟は?
皆夫々推察する時、生死を超越し御両親の御膝下《しっか》に帰しあるを神掛けて祈るのみです。
(中  略)
命日は昭和二十一年五月二十三日と思考。連合国軍より遺品として将校用絨製《じゅうせい》軍衣袴(私製)を送付せられる筈。当服は小官常時着用せるものであります。
最後に喜多家御一同様の隆替《りゅうたい》と万福を祈り、之を守護す。
  昭和二十一年五月二十三日 三時書く
               陸軍准尉 喜多富夫
喜多佐太郎様
同  キト様
御一同様

  【平成二十六年五月靖國神社社頭掲示】

大好きな日本の空へ飛んでかへる

2013年11月4日 月曜日

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陸軍中将 酒井 隆 命
  昭和二十一年九月十三日
  南京にて法務死
  陸軍大学校第二十八期
  東京都港区青山高樹町出身
  五十九歳

 五月三十一日
 ラヂオでおききでせうが、戦犯として今日決定します。
 これによつて中、日がまことの道を歩くことゝなり、日本を侵略と言はれないですむ道になれば、私の本願です。
 好きな中國で死んで、私はよろこんで逝きます。(中略)
 子供達の教育の金もないかと案じます。インフレの中に何もかも妻に一任して私はこんな所で死ぬ、まことに申訳ありません。(中略)
 遺骨があればその一部を分骨して原村(広島県の郷里)の父母の山林か墓前のところに土まんじゆうでもこしらへてお埋め下さい。墓石なんかいらぬ。(中略)
 八月二十六日
 あと二、三日の死を待つのも仕方ない。いやなものだ。静かに故人の幾人かゞ遭遇した天命をたどるのだ。所見も感想もなるべく考へない。書くまい。手近の人々を考へるよりか、本をよみ、歴史をよみ、徐《ゆるや》かに人生を去る。その時まで勉強するのだ。洗濯もし、きものも整理する。
 九月十日
 (中略)もう二度と行けないと思ふと残りをしいが、死ねば心はすぐ日本へかへる。いつでも刑にかけてと祈る。何時迄も牢屋に生きるよりか、放たれた日本の空に、我は祖國の礎となる。
 大好きな日本。私は空とぶ姿でかへる。

                  酒 井  隆
酒 井 菊 枝 殿

  【昭和四十四年十月靖国神社社頭掲示】

魂は永久に皇國を守る(遺 書)

2013年10月7日 月曜日

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海軍中将 田辺 盛武 命
  スマトラ方面第二十五軍司令
  昭和二十四年七月十一日
  スマトラ島メダンにて法務死
  石川県出身
  六十歳

 八重子殿。信次殿。盛美殿。山口紀代子殿。愈々《いよいよ》最後の判決を受けました。予《か》ねて覚悟致し居りし事とて別に驚きも悲しみも致しません。小生少しも人道に反したこと無きは勿論、如何なる罪を受くべき何ものも無き故、御一同には小生の家族として少しも卑屈なる考へを持つ必要はない。小生は全スマトラの最高責任者として其の責任を喜んで負つた迄であると云ふ誇りさへ持つてゐる次第である。終戦当初敗戦の責任を痛切に感じ自決して其の責を負ぶことも考へたが、全スマトラ十万の部下将兵を無事に祖國の妻子、両親の許へ帰らす事こそ小生に残された使命と信じ「死は易く生は難し」この古き諺に名を捨て恥をも忍び、部下将兵を一人でも多く助けんと心血を注ぎ今日に至りたる次第にて、これが最善の途であつたと今も信じてゐる。小生とても私情生を得たき事は人間である以上変りはない。殊に恩愛の情浅からぬ御一同の事を思ひ、其の心情を察する時、誠に断腸の思ひがする。然《しか》しながら昔より一城の主が降伏する時、主将は自決して其の首を呈するのが習《ならはし》である。神の摂理は有難きもので、私の不幸は必ず子孫への幸福として返るであらう。
 而《しか》も今日の不幸は真の不幸ではない。何十年後に之を見れば皇國の為に今一命を捨つるが幸福か或は又今十年生き長らへて空しく畳の上で死するのが幸福かと考へれば云はずとも知れた事である。又逸早《いちはや》く靖國の社頭に於ていとしき長男信と会ふ事も出来る。私は今神仏の加護により彼岸に臨んで安心立命して居る。又肉体は亡びても魂は永久に皇國を守り、天子様をお守り申すであらう。私は日本の歴史に永久の名を残し得たことを喜びつつ死につく。
最後に当り御一同の幸福を祈り又在生中御厚誼《ごこうぎ》戴いた方々の御恩を感謝します。

  あな嬉し慈光《じこう》遍《あまね》く身に浴びて
    仰ぐ彼岸は清くかかりけり
  名もすてし朽木《くちき》の桜時を得て
    又咲き匂ふ春は来れり

  【平成九年七月靖国神社社頭掲示】