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人類は何故戦ひ血を流さねばならぬか(遺 書)

2014年4月7日 月曜日

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陸軍大尉 竹内 惠 命
  歩兵第八十二聯隊
  昭和二十年三月十日
  仏領印度支那ハノイ附近にて戦死
  東京都出身
  二十九歳

 遺書

 私は今静かな気持で此の書を認《したた》めることの出来る時と機会とを得た事を実に幸福に思ふ
 私は過去三年の間、南洋諸島に於けるあの血みどろな日米決戦の実体に遂に触るゝ事なく尊い同胞の流血を唯凝《じ》と眺めてゐた 此間私の心は常に何か堪へられない、何かせめられ追はれる様な焦燥と、部隊の任務の為と云ふ美名に隠れ安易に就かんとする怯懦《きょうだ》とが烈しい相剋を続けてゐた 自分には信念がないと悲しく思つた 軍人として不逞の徒であると思つた 私は淡々として而《しか》も磐石の如き亦燃ゆるが如き雄々しく逞《たくま》しい信念の持主になり度いと自ら願つたそして焦つた 私は周囲にある本を漁り読んだ 陳腐ではあるが眞に時局を認識したいと思つた そして勉めた 其結果此世界動乱が何を意味するか 其実体が何であるか 人類は何故斯《か》く戦ひ血を流さねばならぬかを私自身の心の中に摑むことが出来た様な気がする(中略)
 私は此の歴史の選んだ方向に道を神州日本が、一億皇國臣民が一路驀《ばく》進する光景を、姿をはつきりと見た 私は信念を得た 私は戦ふ そして我々は勝たねばならぬ 亦我々は勝つことを信じねばならぬ(後略)

昭和二十年三月一日
          陸軍中尉 竹内惠

  【平成十六年五月?國神社社頭掲示】

大好きな日本の空へ飛んでかへる

2013年11月4日 月曜日

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陸軍中将 酒井 隆 命
  昭和二十一年九月十三日
  南京にて法務死
  陸軍大学校第二十八期
  東京都港区青山高樹町出身
  五十九歳

 五月三十一日
 ラヂオでおききでせうが、戦犯として今日決定します。
 これによつて中、日がまことの道を歩くことゝなり、日本を侵略と言はれないですむ道になれば、私の本願です。
 好きな中國で死んで、私はよろこんで逝きます。(中略)
 子供達の教育の金もないかと案じます。インフレの中に何もかも妻に一任して私はこんな所で死ぬ、まことに申訳ありません。(中略)
 遺骨があればその一部を分骨して原村(広島県の郷里)の父母の山林か墓前のところに土まんじゆうでもこしらへてお埋め下さい。墓石なんかいらぬ。(中略)
 八月二十六日
 あと二、三日の死を待つのも仕方ない。いやなものだ。静かに故人の幾人かゞ遭遇した天命をたどるのだ。所見も感想もなるべく考へない。書くまい。手近の人々を考へるよりか、本をよみ、歴史をよみ、徐《ゆるや》かに人生を去る。その時まで勉強するのだ。洗濯もし、きものも整理する。
 九月十日
 (中略)もう二度と行けないと思ふと残りをしいが、死ねば心はすぐ日本へかへる。いつでも刑にかけてと祈る。何時迄も牢屋に生きるよりか、放たれた日本の空に、我は祖國の礎となる。
 大好きな日本。私は空とぶ姿でかへる。

                  酒 井  隆
酒 井 菊 枝 殿

  【昭和四十四年十月靖国神社社頭掲示】

自分ノナマヘカケマスカ

2013年8月19日 月曜日

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海軍上等水兵 吉田 勝 命
  昭和十九年八月十日
  マリアナ諸島方面にて戦死
  東京都北区田端町出身
  三十六歳

明子チャン、大変ニオリコウサンニ、ナッタサウデスネ。
オ父サンハ、ヨロコンデヰマス。
ヨク通子トモ遊ンデヤルトノ事。
オヂイサン、オバアサン、オ母サンノ云フコトヲヨクキイテ、マスマス良イ子ニナッテ下サイ。
オ父サンモ、ココカラ元気ニ、ヘイタイサンニナッテ、見テヰマス。
塗絵タイヘンヨクデキマシタ。
モットモットカイテ、ナニカヒトリデ、カイテ下サイ。
自分ノナマへカケマスカ。
マダムリデスカ。
マタ、オモシロイハナシヲ、タクサンキカセテアゲマス。
通子、順子ニモヨロシク。
                    サヨナラ
                    父ヨリ
明子チャン

   【平成二十五年八月靖国神社社頭掲示】

学半ばにして征く(遺稿「出陣に際して」)

2013年5月6日 月曜日

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陸軍少尉 中里 輝哉 命
  東京帝國大学在学中 学徒出陣
  電信第二十七聯隊
  昭和二十年四月八日
  フィリピン群島ルソン島にて戦死
  東京都出身 二十一歳

 卿等《けいら》学べ いくさは 大き菊の秋 青邨《せいそん》

 私が東大に入学した時に師のよまれた句である。思へば私の学窓生活は戦ひのさなかに続けられて来た。学半ばにして征く。これも予期してゐなかつた事ではない。われらなきあとに、畏敬する友と後輩とが学統を守つて下さるのを信じて、安んじて征《ゆ》く。
 私の部生活は恵まれてゐた。諸先輩に導かれ、多くの友に囲まれて、私の歩んで来た道には東高弓道部の黄金時代もあつた。その上に私はよき後輩を持つてゐる。これらの人々にいろいろと迷惑をかけ、難しい言葉を並べたりしたが、私はやはり、平凡に弓を愛し、友を愛し、部生活を愛する一人であつたと自ら思ふ。
 われわれが弓を磨き心を練つた所以のものは、相率ゐて國家有為の人となるにあつた。時来つて我々の仲間は相次いで戦場に出る。草莽《そうもう》の心は誰の胸にもある事であらう。ことごとしい言葉は最早いらない様な気がする。
 終りに、諸先生の御長寿を祈り、諸兄の研鑽と御健康を祈つてやまない。

        昭和十八年十一月二十七日

   【平成十六年六月?國神社社頭掲示】

娘たちへ

2012年2月7日 火曜日

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陸軍伍長  山田 進 命
  昭和二十一年二月十五日
  ソ連ウスリー州にて戦病死
  東京都淀橋区諏訪町出身
  四十歳

明代、靖子へ
お前達は、父亡き時は母は病身の事故(ことゆえ)、心配を掛けぬ様、お祖母様の処にて育てて戴け。
それで明代は、もう大きいのだから自分の事は自分でやる様。
自分で出来ぬ事以外は、他人に頼まぬ様、堅く是を実行せよ。
靖子は、祖母と母や伯父伯母皆様の言ふ事を聞いて大きくなる様。
そして、お前達は少なき姉妹なれば、一生仲良く暮す様。
身体を大切にせよ。
自分の身体と思ふな。
世の為、神様より御預かりして居るものと思へ。
では、父はお前達を何時も守って居るよ。

父より
【平成二十四年二月靖国神社社頭掲示】

私に逢ひ度くば空を見よ

2011年2月18日 金曜日

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私に逢ひ度くば空を見よ

          海軍少佐 篠崎 眞一 命
          横須賀海軍航空隊
          昭和十九年六月二十九日
          内南洋方面にて戦死
          東京都出身 二十四歳

 (前略)
 玲子
 玲子は日本一、否世界一の妻なりと思つてゐる。苦勞のみかけ、厄介ばかりかけ、何等盡し得なかった事済まなく思つてゐる。四月十五日以来僅な月日であつたが、私の一生の半分に價する月日であつた。父母に孝養を盡してくれ、私の分迄。
 私に逢ひ度くば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。私は其処に生きてゐる。
 結婚のすべての手續き、六月十二日に横空で完了して置いた。くれぐれも後を頼むよ。私の出来なかつた事も玲子には出来る。後顧の憂一つなく征ける身の幸福を感謝してゐる。
 最愛の玲子、御身を常に見守つてゐるよ。

   出撃前夜
    海軍大尉 篠崎眞一

【平成十八年三月靖国神社社頭掲示】

誰か故郷を想はざる

2011年2月18日 金曜日

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誰か故郷を想はざる

       海軍大尉 市島 保男 命
       神風特別攻撃隊第五昭和隊
       沖縄東南海上にて戦死
       早稲田大学第二高等学院生
       東京都出身 二十三歳

四月二十四日
ただ命を待つだけの軽い気持である。隣の室で「誰か故郷を想はざる」をオルガンで弾いてゐる者がある。平和な南國の雰囲気である。徒然なるまゝにれんげ摘みに出かけたが、今は捧げる人もなし。梨の花とともに包み、僅かに思ひ出をしのぶ。夕闇の中を入浴に行く。隣の室では酒を飲んで騒いでゐるが、それもまたよし。俺は死するまで静かな気持でゐたい。人間は死するまで精進しつゞけるべきだ。まして大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。その名に恥ぢない行動を最後まで堅持したい。
俺は、自己の人生は、人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩んできたと信じてゐる。精神も肉体も父母から受けたままで美しく生き抜けたのは、神の大いなる愛と私を囲んでゐた人びとの美しい愛情のおかげであつた。
今かぎりなく美しい祖國に、わが清き生命を捧げ得ることに大きな誇りと喜びを感ずる。

【昭和三十七年三月靖国神社社頭掲示】

遺 言

2010年6月18日 金曜日

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遺 言

        陸軍兵長 大 瀧 一 郎 命
        昭和二十年六月十四日
        フィリピンにて戦死
        東京都出身  

一、産業戦士として比島へ赴任するとは謂ふも現戦局は皇国未曾有の機局に直面し居る秋(とき)に當り 赴任する故に軍人と何等変らざる覚悟を以って壮途に就くものなり 幸にして途中無事故にて任地に到着の上は一死報国の誠を以って一意増産に奮励するものなり その時と謂ふも父は御前等兄妹の事を毎日無事で健やかに大きくなるやう祈ってゐる 父は三年比島で勤務すると懐かしい御前達の元気な顔を見に帰って来られる筈であるが、然し此の戦局が有利に終らない限りは何年でも帰って来られないが、御父さんが留守である時は御母様や御老父さん御老母さんの云ふ事を良く聞いて立派な人になるやうに言行一致よく勉強してくれ それのみを祈ってゐると共に御前達の躰の上には何時何處ででも目に見えない御父さんの魂が御前達の無事を守ってゐるぞ(中略)

比島赴任にのぞみ

昭和十九年八月六日

                     父より

【平成二十二年六月靖国神社社頭掲示】

大好きなお母さん

2009年7月18日 土曜日

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大好きなお母さん

        陸軍中尉  伊賀 新太郎 命
        昭和十九年七月十六日
        比島ルソン島北方海域にて戦死
        東京都淀橋区出身 二十六歳

 お母さん、新太郎の大好きなお母さん。笑って下さい。決して泣かないで下さい。新太郎は堂々と闘ったのです。大部分はお母さんの御手柄であります。
 新太郎の行動の後にはお母さんの優しいお姿が何時も付いて居て、新太郎を励まして下さったのです。美しい名も無き野花の真中に打ち伏すとも、キラくと銀色に輝く南海の藍の底に眠るとも、新太郎はお母さんの懐の中に眠るが如く安らかに眠ります。何も話をしなくともお母さんのお顔を見て居る丈で新太郎は何時も満足でありました。
 御心尽しのお守札は最後迄私の傍にあります。何も書けません。お母さん、新太郎の大好きなお母さん、たくさんの一人息子を国に捧げた人もあります。強く明るく生きて下さい。お祈り致します。伯父様の後に続きます。私共の後に続く者の強き足音が聞えて参ります。日本は必ず勝ちます。

大日本帝国万歳
天皇陛下万歳

新太郎
御母上様

【平成二十一年七月靖国神社社頭掲示】

悠久の大義に生きたり

2009年1月18日 日曜日

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悠久の大義に生きたり

        陸軍准尉 中山 義雄命
        昭和二十一年一月十日
        ソ連ハラグン収容所にて公務死
        東京都港区芝西久保櫻川町出身
        三十二歳

 徒らに嘆くを止めよ。
 吾笑ひて悠久の大義に生きたり。
 児孫の養育及教育は妻たる然して母たる
 御身の責務たり。吾が生前の言葉の如く、
 立派なる御国の吾子の教育をせられたし。
 男の子なれば、士官学校に入校せしむべく、
 教育せられたし。
 女の子なれば結婚期に細かく心遣ひて、
 幸福なる家庭の主婦とすべし。
 残せし資産は有効に使ひて、
 教育を怠ること勿れ。
 父母の孝養は吾に代りて
 誠意之(これ)をなすべし。
 資産の中、伍阡圓は父母様に
 お渡し申上ぐべし。(中略)
 吾子は吾と心得、亦お国の御宝と心得て
 時に秋霜烈日、時に慈愛以て臨まれたし。

               謹 言

昭和十九年八月二十三日

               中 山 義 雄

【平成二十一年一月靖国神社社頭掲示】