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遺 書

2014年11月17日 月曜日

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海軍二等機関兵曹 姫野 清馬 命
  昭和十七年七月五日
  アリューシャン列島アガツ島付近にて戦死 
  福岡県糸島郡福吉村出身
  二十六歳

母上様には、色々と御心配を掛けまして申し訳
ありません。
海軍軍人となったこの上は、誠心誠意奮闘する
覚悟です。
軍人たる者何時身を捨つることあるや、今から
決心してゐます。
母上様の並大抵ならぬ苦労は、身に沁みて有難
いと思ってゐます。
小生今までの御不孝をお許しください。
「一死報國」以って繕はして戴きます。
 母上様に対して深甚の感謝を捧げます。
                     敬具
  昭和十一年五月三十日
                  姫野清馬
母上様

  【平成二十六年十一月靖國神社社頭掲示】

笑って護国の花と散ります

2014年3月17日 月曜日

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陸軍上等兵 ?山 晴次 命
  昭和十七年三月七日
  ビルマ国ペグーにて戦死
  香川県小豆郡四海村出身
  二十四歳

母上様。長らく御世話に成りました。
此の二十一年間、何一つ喜ばし、又、安心させた事もな
く、只御心配ばかり掛けまして誠に申訳御座居ませんが、
日本男子と生れて国防の第一線に立ち、男として一花咲
かせます。東洋永遠平和の為、散らして行きます。此れ
日本男子の本懐で有ります。
すでに母上様も入営当初より御覚悟は出来て居る事と思
ひますれば、私も何一つ思ひ残す事なく、笑って護国の
花と散ります。
なほ、もし私の骨が帰ったなれば只一言、よく死んで呉
れた。あっぱれと褒めて下されば、なほ嬉しく思ひます。
私の石碑は、ほんの印《しるし》だけで結構です。故、残金は全部
国防献金して下さい。
(中略)
茂君も丈夫で、立派な帝国海軍軍人と成って、海に活躍
せられん事を祈る。
孝江も真面目に働いて良き夫に付き、幸福に暮らされん
事を草葉の陰より祈る。
又、兄上様一同に色々と心配を掛けた晴も、だうやら一
人前の日本男子と成った様です。
私も此れに越したる喜びは有りません。
だうか母上様をよろしく御頼み致します。(後略)

                      晴 次
母兄弟妹様

  【平成二十六年三月靖國神社社頭掲示】

武家の家人らしくすべし(弟達へ)

2013年9月2日 月曜日

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海軍上等主計兵曹 白井 武男 命

  軍艦「摩耶」乗員
  昭和十七年十一月十四日
  ソロモン諸島方面にて戦死
  茨城県出身
  二十一歳

(前略)
 かはいい弟達、我が家には我が家のハッキリした精神がある。何年か後は貴殿等も軍人に成るはずなり。それまでは一心不乱あの精神守り通すべし。
         (中略)
 軍人としては戦場に臨むからは万一の場合を予期せねば成らん。されど幸にして永らへる者は必ず白井家の意志をガッチリと後世に申し送るべし。
 父母の孝養にいそしむべし。父母の心安ずる事が子としての最大の孝行なり。
 困《くる》しさも難しい所を笑つて切りぬけるべし。己を困難は錬磨してくれる。御互に口をつつしむべし。口はわざはひの素なり。一家の秘は決して外言するべからず。功をほこらず、死を悲しまず、武人の家人らしくすべし。涙は絶対禁物なり。泣くは子供の時なり。泣く分笑ふ事が第一なり。絶対軍人の家人らしく態度を保持すべし。

  【平成十七年十一月靖国神社社頭掲示】

絶対にひみつです(別れ)

2012年9月3日 月曜日

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陸軍伍長 石橋 義郎 命
  昭和十七年二月四日
  比島ルソン島にて戦死
  三重県出身
  二十四歳

先日は突然にて失礼致しました。
無事に帰隊致しましたから安心下さい。
今日上田君が家にかへりましたのでことづけます。
これが父母上様にもお別れとなると思ひます。
でもまだはつきりわかりませんがもうお目にかゝる時はないと思ひます。
決してこれはひみつですから他へもらさないで下さい。
こゝにつめをいれましたもしかの時がありましたらこれにてお願ひします。
では皆々様御身大切にお別れ致します絶対にひみつですからもらさぬ様お願ひ致します。
 面会も出来るか出来ぬかわかりませんから来ないで下さい、ではさやうなら。

 父上様

  【平成三年十一月靖国神社社頭掲示】

靖国神社デ祈ッテヰマス

2009年11月18日 水曜日

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靖国神社デ祈ッテヰマス

        陸軍少佐 池亀 重作 命
        昭和十七年十一月二十三日
        ソロモン群島ガダルカナル島
         九〇三高地附近にて戦死
        新潟県西頸城郡磯部村出身 四十歳

父ヨリ
惠子ヨ、可愛イ惠子ヨ。
父ハ惠子ガ早ク大キクナリ、立派ナ人ニナリ、御國ノタメニ働クコトヲ祈リマス。
母ノ教ヘヲヨク守リ、誰ニモ負ケヌ様ニ、オ勉強シナサイ。
「努力ハ天才ニ優ル」ト言フ事ヲ念ニ収メ、偉イ人ニナッテ母ニ孝行ヲシナクテハナリマセン。
父ハ東京ノ靖国神社デソレバカリ祈ッテヰマス。

【平成二十一年十一月靖国神社社頭掲示】