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書き遺す事

2014年1月20日 月曜日

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陸軍上等兵 吉野 浩藏 命
  昭和二十一年一月三十日
  ソ連シベリャセミノフカ地区
    第十二収容所にて戦病死
  新潟県柏崎市日角出身
  二十一歳

此の期に及んで何も書き遺す事も御座なく候へども、此の世の名残に一筆書き残し候。
万一小生戦死の報行くも、小生は欣然《きんぜん》として国難に殉じ、笑って帝国の礎石となり候間、決して嘆く間敷《まじく》候。
顧れば生を受けてより二十年、只御厄介になるのみにて、何一つとして親孝行も致さず、今更ながら後悔の外無之《これなき》候。
然しながら忠孝一本とか君に忠なる事、即ち親に孝と存じ候。
我軍の戦況、愈々不利に相成候へども、小兵等は日本の国民として情勢の如何に拘らず全力を尽して、自己の任務に邁進すべきと存じ
候。
夜青白き月光の木陰よりもるゝを見れば、想ひは遠く故郷の空にはしり申し候。
小生の亡き後も皆様には、帝国軍人の遺族として見苦しき事のなきやう、勝利の日迄仇敵米英の撃滅に邁進致され度候。
簡単乍《なが》ら右を以て遺書と致し候。
 
昭和二十年六月二十一日 十四時
      箇山(済南の南約十五里)にて
      雨の音を聞きつゝ
                          吉野浩藏

  【平成二十六年一月?國神社社頭掲示】

大義に生きんと覚悟致して居ります

2013年2月18日 月曜日

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陸軍少佐 橋詰 良直 命
  昭和二十年二月二十四日
  東部ニューギニア・イロップにて戦死
  新潟県中頸城郡板倉村出身
  二十五歳

皇紀二六〇四年の新春を迎へ、謹みて新年を賀し奉ります。
御両親様には、愈々御壮健にてお暮らしのことと推察致し喜んで居ります。
当方面戦況益々緊迫を告げ、元旦と雖《いえど》も全てを忘れて新年を祝することも出来ず、頭は常に戦場に馳せて居ります。
敵情急速に変化を来し、今や敵を至近の距離に迎撃せんとして居ります。或はこれにて最後となるかも知れませんが、決して犬死はせん覚悟であります。
目下、某要職に就いて居ります。部下も或は沢山戦死をするでありませう。部下のみを殺しは致しません。
○○と運命を倶《とも》にし、身命の存する限り一意宿敵撃滅に邁進致します。
幼にして父母の膝下《しっか》を離れ、何等孝養を尽し得ざりしは甚だ残念に且《かつ》、心残りではありますが、大義に生きんと覚悟致して居ります。
兄さん弟には宜敷くお伝へ下さい。近所の皆様に宜敷く。
猶、私戦死の時は伊藤様にのみお伝へ下さい。
ここに最後のお便りをなし、お別れ致します。
                     敬 具

   【平成二十五年二月靖国神社社頭掲示】

戦地の兄へ

2011年11月1日 火曜日

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戦地の兄へ

  陸軍軍属(看護婦) 湯川カツ 命
   昭和二十年十一月三十日
   内地帰還後、本籍地にて戦病死
   新潟県中魚沼郡川治村出身 二十四歳

 叢(くさむら)より聞ゆる虫の音(ね)に、初秋の訪れを一入(ひとしお)深く感じて参りました。
 兄さん、先日はお便り有難う御座いました。
 私も宮ちゃんも相変らず元気にて服務致して居ります故、他事乍ら御休心下さいませ。
 此方(こちら)は内地の彼岸頃の気候で、とても凌(しの)ぎ良くなりました。
 参った当時より、多忙な日々を過して居りますが、仕事にも大分馴れて参り、楽しい日を送り迎へして居ります。
 兄さん今度お便り下さる時は、表記の通りにして下さいね。
 四九六部隊で充分参りますから、お願ひ致します。
 もう時間が迫って参りました。又後にて。
 健康に注意して頑張って下さいませ。
                               かしこ

  【平成二十三年十一月靖国社社頭掲示】

泣かずにほめて下さい

2011年10月15日 土曜日

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泣かずにほめて下さい
  陸軍伍長  島田 美好 命
   昭和二十年七月二十日
   フィリピン・ルソン島マンカヤンにて戦死
   新潟県出身 二十六歳

 お母さん 永々のお世話感謝します
 私もいよいよ國家のため お役に立つ時が参りました
 私は赤紙を受けし日より すでに吾が身は大君に捧げて仙台部隊に入隊した私です
 男と生れこんなうれしい日はありません
 一旦召されたからには生きて帰る事なく第一線に出陣し死を覚悟していきます
 万が一戦陣で散つた時 父母をはじめ兄弟なかよく幸福に暮らすことを草葉の陰より見守ります
 私 建築士の職務上 兄上の部屋を改築し喜んで戴いた事 なによりの置土産だと思ひます
 父母 兄弟に告ぐ 白木の箱が届いたら泣かずにほめて下さい

 父母さまへ

                 島田 美好
  【平成五年三月?國神社社頭掲示】

魂は再び我家にかへります

2011年7月15日 金曜日

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魂は再び我家にかへります

  海軍大尉  本井 文哉 命

  昭和二十年一月十二日
  中部太平洋ウルシー湾にて戦死
  新潟県出身 二十一歳

  (前略)
 思へば長い又短い楽しい又悲しいことも多かつた二十年でした
 新潟こそ私の生立ちの地私の遺髪は必ず必ず御先祖様のお墓の中に葬つて下さい
 決して特別に私一人の墓をたてられぬやうに
 今かうして筆を執つてゐるといろいろ昔の頃の思ひ出がうかんでまゐります
 私は死すとも魂は再び新潟なる我家にかへります
 私亡き後も私がなほ聖戦に頑敵(がんてき)を撃つてゐるおつもりで今までの如くお暮し下さい
 ここに御恩の万分の一にもお報いすることの出来なかつた不孝をおわび致しますと同時に私の最後の一生をかけてこの働きを御覧下さい
 そして私の最上の親孝行をお受け下さい
 最後にお祖父様をお大切にして下さい
 文昭のこと呉々もお願ひ致します
 豊ちやん 昌ちやん さやうなら

 昭和十九年十二月二十八日

 父 上 様
 母 上 様

                                【平成十七年一月靖国神社社頭掲示】

明朝出撃します

2011年6月15日 水曜日

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明朝出撃します

  海軍大尉  市川 尊継 命

  海軍第四期兵科予備学生
  昭和二十年二月二十六日
  硫黄島近海にて戦死
  早稲田大学卒 新潟県出身 二十三歳

 御両親様
 人生二十五年
 転変の世に処し、回天特別攻撃隊千早隊の一員として愈々(いよいよ)明 朝出撃することゝなりました。唯今申し上げ度きは、御慈愛を深く感謝致す と共に、敵爆沈に集中成功を期するのみであります。菊水の兵器に乗り、白鉢巻の中に御両親様の御寫眞(しゃしん)をひそめ、千人針に膽(きも)を 締めて、敵撃滅に猛進する小生の姿を御想像になられ、尊継は聊(いささ)か御國の御役に立ち得たることを喜んでやつて下さい。
 では行きます。
 昭和二十年二月廿日    回天特別攻撃隊千早隊 海軍少尉 市川尊継
 父上 様
 母上 様
【平成十六年十月靖国神社社頭掲示】

靖国神社デ祈ッテヰマス

2009年11月18日 水曜日

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靖国神社デ祈ッテヰマス

        陸軍少佐 池亀 重作 命
        昭和十七年十一月二十三日
        ソロモン群島ガダルカナル島
         九〇三高地附近にて戦死
        新潟県西頸城郡磯部村出身 四十歳

父ヨリ
惠子ヨ、可愛イ惠子ヨ。
父ハ惠子ガ早ク大キクナリ、立派ナ人ニナリ、御國ノタメニ働クコトヲ祈リマス。
母ノ教ヘヲヨク守リ、誰ニモ負ケヌ様ニ、オ勉強シナサイ。
「努力ハ天才ニ優ル」ト言フ事ヲ念ニ収メ、偉イ人ニナッテ母ニ孝行ヲシナクテハナリマセン。
父ハ東京ノ靖国神社デソレバカリ祈ッテヰマス。

【平成二十一年十一月靖国神社社頭掲示】