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何故武人の花と散り得なかつたか(病床に八月十五日を迎へて)

2012年8月6日 月曜日

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陸軍曹長 山本 四郎 命
  昭和二十年十月十五日
  傷痍軍人愛知療養所にて戦病死
  愛知県出身
  二十九歳

   最後の便り(抄)
 御両親様
 長い間、良くおいつくしみ下さいました。
 思へば二十九年、短い様で長い年月をはぐくまれ育つた私は幸福でした。
 けれど運命は何処迄も皮肉でした。八月十五日の降伏は、私のすべてを失つて仕舞ひました。海山の御恩の万分の一にも報い得ず、死んでいくことを深くお詫び致します。
 しかし、今度の不幸は私どもだけのものでは御座居ません。お國の不幸で、戦ひに負けると言ふ事は、すべての人々を悲しい事に致します。偉い人は偉い様に、金持は金持の様に、身分に相応してをり、私は誰もうらみません。すべては運命です。定めです。
 一人子を特攻隊に捧げた人も、二人三人といとし子を戦死させた人もあります。或いは又、幾人もの幼な子をのこして死んだ人も御座います。
 只残念なのは、永き軍隊生活をした私が武運拙(つたな)く、数年を病床になげいて死ぬ、何故武人の花と散り得なかつたでせうか。又ぐちになつて仕舞ひました。
 では、なごりつきません。何度も申します。からだに随分と気をつけて、いつまでも、いつまでも強く強く生きて下さい。御機嫌よう。お月様のやうなきれいな心で笑つて参ります。
                四 郎
 昭和二十年十月十日

  【昭和六十三年八月靖国神社社頭掲示】