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吾々の神聖さがあります

2013年12月16日 月曜日

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海軍少佐 矢野 徹郎 命
  昭和十九年十二月七日
  比島方面にて戦死
  愛媛県越智郡津倉村出身 二十五歳

お便り有難う。お元気何よりです。愚生相変らずにて大空を翔けて居ります。
早いものです。一年余の歳月が流れました。
大祭も近づく頃!肌寒い風の吹く頃は、常に駅伝のことを思ひます。
日一日と風がつめたくなるに従って、練習も苦しくなって行った。
山田は実に懐かしい土地です。一木一草、思出でないものはありません。
宮川、御幸みち、塚山の下宿生活、山寮の思出、古市時代、親しき友。
友の姿を偲びつつ、弛みがちなる心を引締めてゆく。大空を翔ける心、既に何人かの屍をのり越へて来た。
日々の訓練は生命がけであります。訓練が生命がけであるだけに、戦友との結びは兄弟以上のものがあります。学生時代の様な子供の遊びの域を脱し、
最早大人の時代へ遷らせます。
吾々の生活…飛行機に乗ったとき、全てを忘れることです。ここに他と異なる吾々の神聖さがあります。
今日は雨で飛行場のエンドがかすんでみえる。はるかに石の鳥居が寂として立ってゐる。
昨日迄立ってゐた幟もとりはらわれた。秋祭りも終った。

    秋祭り 幟はためき 虚空高し

秋の空!なんと大きな心。大空に向って深い呼吸をしてごらん。
身も心も清々しく、己の心も大空の様な偉大さをわきたたせる。
急上昇するとき、淡雲がぐくっと顔前にせまる。
操縦桿を右にとる。大きな円を画いて吾が飛行機はもとの姿勢にかへる。
なんとすばらしい生活ではありませんか。

     醜の御楯

   吾も亦 この鎮宮に 祀れん日もあらんかと 宮造りしみじみ拝す

   五尺の身 ありとあらゆる 力もて 尽しまつらん 醜の御楯は

  【平成二十五年十二月靖国神社社頭掲示】

一撃必中あるのみです

2011年11月15日 火曜日

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一撃必中あるのみです

  海軍少尉  曾我部 譲 命
  昭和二十年八月九日
  本州東南方海面にて戦死
  愛媛県出身 二十一歳

 (前略)
 戰局益々切迫したる折柄不肖私も敢然立つてお國のために働くべき時が来ました。
 生れてこの方二十二年今日ほど感激したことはありません。血湧き肉躍ると いふ言葉は、私たちのために作られたやうなものです。
 (中略)
 一度離陸すれば必ずかへつて来ない事はわかつてゐても、幾多の同僚はみんな「ニッコリ」笑つて散つて行きました。私もみんなに續(つづ)いて立派に散ります。
 もう一度家へかへりたいと思ふこともありましたが今更そんなことは考へません。
 (中略)
 ただ一撃必中あるのみです。私たちには死生觀(かん)とかそんなものはありません。
 たゞ國のために死ねることを最大の光榮として居ります。
 戰果は発表されるかどうかわかりませんが、必ず大きな手柄を立てたものと思つて下さい。
 では達者でお暮し下さい。
 (後略)

  【平成十七年十月靖国神社社頭掲示】