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それは運命だと思ひます

2013年11月18日 月曜日

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陸軍伍長 宗本 琢磨 命
  昭和十九年十一月十一日
  比島カモテス海峡にて戦死
  岡山県苫田郡中谷村出身
  二十三歳

蝉の声かしましき八月の初旬、今昭和十九年八月の始め、友と共に戦地に行かんとするに当り、一筆父上に呈し、不孝を
詫びんとす。(中 略)
何処に行き、どんな事が起っても琢磨はお父さんの子であると云ふことを忘れない積りです。そこから必ず自分の進む可
き、何らかの方向が示されると信じます。
両親が今迄、琢磨を引張ってきて下さった強い強い力は、やがて琢磨が自分一人で押進んでゆく強い力と成ると信じます。
風波荒い社会、つくづくさう感じます。波静かな両親の港に憩ふときのみ、琢磨は何もかも忘れて安らかな気になります。
淋しい、さう云ひたい今の気持ちです。いくつになっても、やっぱり親程よいものはこの世にないとつくづく思ひます。
戦地の病院で息を引取る病人が、最後に云ふことばは「お母さん」の一声です。
いつまでもいつまでも、親のもとにいたい、さうした気持ちで一杯なのです。
然し、男である以上、まして父の子である以上、日本の男の皆やることは死んでもやらねばならないのです。お父さんの云はれた通り、必ず死ぬ人間で有る以上、どこでいつ死んでもそれは運命だと思ひます。
幸にして妻子はなし。唯々両親様の健康は、一日も長くすこやかなれと祈るのみです。
其の日、其の日の最善を尽しつつ琢磨は元気で行ってきます。
決して進んで死を望むやうな琢磨ではありません。
然し、死す可き時には潔く死にます。其れが男子の一生として、亦、両親様も一番喜んで下さる道と信じます。
美佐子、綾子もよくよく両親様の注意を守り、立派な女性となるやう。

昭和十九年八月四日 朝

琢磨

【平成二十五年十一月靖国神社社頭掲示】

遺   書

2011年6月1日 水曜日

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遺   書

       陸軍兵長  岡 敏雄命
       昭和二十年六月九日
       比島ミンダナオ島にて戦死
       岡山県児島郡下津井町出身 二十八歳

此度の戦斗にて大君の御為に死所を得ました事は、皇国に生を享くる男子としての本懐、正に之(これ)に過ぎるものはありません。
成人するに及び故郷を遠く離れ、親子別々の生活致し、何等孝養らしき事も尽さず死するは、全く慙愧(ざんき)の極(きわみ)であります。
小生亡き後は前途多端の一家の為、万全の善後策を講じて下さる可く、切に御願ひ致します。
尚、京子の件に関しても、結婚後僅々四ヶ月余日の生活にて、夫を失ふ身は誠に不憫とは考へますが、出征前能(よ)く能(よ)く申聞かせ、既に覚悟の程も出来居る事と存じますれば、今後は本人とも充分御相談の上、宜敷御取計らひ下さいます様、御願ひ致す次第で御座居ます。
小生身は仮令何れの地にて果ませうとも、皇国の万代不易(ばんだいふえき)と一家の隆盛を祈って安けく冥じます。
最後に、父上の英霊に続いた子として不肖の身でありましたが、何卒御許しの程願ひます。
では、御身体呉々も御大切に。
母上の御幸福を蔭乍ら御祈り致します。

  昭和十九年四月二十九日

                  岡  敏 雄
  御 母 上 様

【平成二十三年六月靖国神社社頭掲示】