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更級横多神社社頭に於いての出征挨拶

2013年5月20日 月曜日

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陸軍大尉 望月 重信 命
       昭和十九年五月二十二日
       フィリピンにて戦死
       長野県更級郡篠ノ井町出身
       三十五歳

本朝はかくも早々皆様の熱誠なる御歓送をいただきまして、まことに感謝に堪へません。私は皆様の御心に報ゆべく、必ず全力を尽して御奉公を致す覚悟であります。
今やこの非常時は、今までの戦争の様に、単に世界の地図が塗り変へられるといふ丈のものではありません。世界人類の歴史の上に、数百年の大きな時代を画して、人類の人生観が、国家観が、世界観が、政治の上にも、教育の上にも、経済の上にも、芸術の上にも、宗教の上にも、その他一切に大ひなる飛躍をなさむとしてゐるのであります。新らたなる世界が、我が皇国日本を母体として生れむとしてゐるのであります。(中略)
戦死すると云ふ事は、人生本来の約束から観れば、それ程驚く可き事でも、またさして悲しむべき事でもありません。増してや、天皇の御為にこの一命を捧げます事は、日本男子の本懐であります。吾等は只、この生れては死に、死んでは生れてゆく悠久なる人生の連鎖に於て、如何にして永遠の生き甲斐に生き、さうして不滅の死に甲斐に死ぬかと言ふ事であります。(中略)
私は本日、大命を拝して勇んで戦線にのぞみます。もとより生還は期して居りません。
然し、私達をして死に甲斐あらしむるか否かは、あとに残られた皆様の責任であります。今後まだまだ大なる、それこそ非常なる艱難が国家の上に、皆様の上に、必ず振りかゝって来るのでありませう。その時になって、どの様な苦しい事があっても、皆様は決してへこたれたり、悲鳴をあげるやうな事があってはなりません。どうかこの事をこの社前におきまして、くれぐれもお願ひ致しまして出発のご挨拶と致します。終りにのぞみまして、村内皆様の御健康を祈ります。
                      終り
    昭和十四年五月一日

   【平成二十五年五月靖国神社社頭掲示】

学半ばにして征く(遺稿「出陣に際して」)

2013年5月6日 月曜日

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陸軍少尉 中里 輝哉 命
  東京帝國大学在学中 学徒出陣
  電信第二十七聯隊
  昭和二十年四月八日
  フィリピン群島ルソン島にて戦死
  東京都出身 二十一歳

 卿等《けいら》学べ いくさは 大き菊の秋 青邨《せいそん》

 私が東大に入学した時に師のよまれた句である。思へば私の学窓生活は戦ひのさなかに続けられて来た。学半ばにして征く。これも予期してゐなかつた事ではない。われらなきあとに、畏敬する友と後輩とが学統を守つて下さるのを信じて、安んじて征《ゆ》く。
 私の部生活は恵まれてゐた。諸先輩に導かれ、多くの友に囲まれて、私の歩んで来た道には東高弓道部の黄金時代もあつた。その上に私はよき後輩を持つてゐる。これらの人々にいろいろと迷惑をかけ、難しい言葉を並べたりしたが、私はやはり、平凡に弓を愛し、友を愛し、部生活を愛する一人であつたと自ら思ふ。
 われわれが弓を磨き心を練つた所以のものは、相率ゐて國家有為の人となるにあつた。時来つて我々の仲間は相次いで戦場に出る。草莽《そうもう》の心は誰の胸にもある事であらう。ことごとしい言葉は最早いらない様な気がする。
 終りに、諸先生の御長寿を祈り、諸兄の研鑽と御健康を祈つてやまない。

        昭和十八年十一月二十七日

   【平成十六年六月?國神社社頭掲示】

遺言

2013年4月15日 月曜日

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陸軍中尉 長崎 太郎 命
       昭和二十年四月十六日
       ニューギニア、パンガンにて戦死
       福岡県宗像郡福間町出身
       二十五歳

御両親様。太郎ハ、オ先キニ逝キマス。
二十三才ノ今日マデノ御恩情ニ、ムクユルコトナク不孝之罪、御赦(ゆる)シ下サイ。
御両親様ニハ、入営ヨリ御覚悟ノコトト思ヒマス。
太郎ハ、父上ノ子デモナケレバ、母上ノ子デモアリマセン。
御天子様ノ赤子(せきし)デス。太郎ハ、二十一才ニテ長崎家ト別離シマシタ。
家ニハ正ガ居マス。弟達ガヰマス。長崎家ノ将来ハ万々歳デス。
ミツエモ、母上ヲオ助ケ申シテクレ。
妹弟ノ者ニモ兄トシテ、何ニ一ツシテヤルコトモナク、済マナカッタ。
之カラ兄ノ分マデ、皆デ仲良ク御両親様ニ孝行タノムヨ。
病気スルンヂャナイゾ。仲良クナ。
申シ上ゲルコトモアリマセン。長崎家之万福ヲ祈リマス。
   昭和拾八年一月五日
                            長崎太郎
    長崎家御祖先様
    長崎武雄 様
    長崎タマノ様
    長崎ミツエ殿
    長崎 正 殿
    長崎哲也 殿
    長崎俊之 殿
    長崎正幸 殿

   【平成二十五年四月靖国神社社頭掲示】

兄は櫻の木に咲いて居る

2013年4月1日 月曜日

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海軍少尉 服部 壽宗 命
  神風特別攻撃隊「菊水部隊天櫻隊」
  昭和二十年四月十六日
  南西諸島方面にて戦死
  三重県出身
  十九歳

節子殿
 兄は神風特別攻撃隊の一員として明日敵艦と共に、我が愛機雷撃機天山に特攻用爆彈を抱きて命中、男一匹玉と碎《くだ》け散るのだ、最後にのぞみ一筆書遺し置くことあり。
 節子も今では立派な可愛い女学生となつたことであらう。兄は節子の女学生姿が見られずに死んで行くのが残念だ。節子も光輝ある服部家の一女子だ。兄の一人ぐらゐが死んだとて何も悲しみなげく事はない。
 兄は喜んで天皇陛下の為、重大危機に直面して居る日本の為、一億國民の楯となつて散つて行くのだ。少しも悲しまずに笑つて兄の魂を迎へて呉れ。
 (中略)
 兄は常に九段の社の櫻の木の枝に咲いて居る。裏の元屋敷の櫻の木にも咲きますよ。櫻が咲いたら兄だと思つて見て下さい。
 さやうなら。母上を御願ひ致します。
 出撃前夜                          兄
親愛なる妹 節子殿

  【平成十五年四月靖国神社社頭掲示】

元気でやって参ります

2013年1月21日 月曜日

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海軍少尉 束原 政春 命
  昭和二十年一月二十日
  台湾南方洋上にて戦死
  青森県青森市大字栄町出身
  二十五歳

四年目の正月を遂に、内地で迎へる事が出来ました。
正月早々、某方面へ出撃、又一働きする機会に恵まれました。
元気でやって参ります。
家の方もみんな元気で、土産ばなしでも待ってゐなさい。
時々、亡き戦友の仏前へ参って下さい。
荷物は、鉄道便で不要の物全部送ります。
破れた靴下やシャツが入ってゐますから、修繕して使って下さい。
大したものはないですが、何かの足しになるでせう。
荷物の中に手入してないものや、洗濯してないものがある予定ですから、よろしく御保存方御願ひします。
みんな体を大事に働き、勉強する事。
では、又便りします。
                              不 備
                             束原政春
  束原悦子殿
 酒の肴等送ってしまったのでしたら仕方ありませんが、未送付なれば送らずに下さい。

                           【平成二十五年一月靖国神社社頭掲示】

弱い心をお笑ひ下さい(軍服を脱いで行きます)

2012年12月3日 月曜日

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海軍大尉 旗生 良景 命
  神風特別攻撃隊八幡神忠隊
  昭和二十年四月二十八日
  南西諸島にて戦死
  京都帝國大學卒
  福岡県出身
  二十二歳

四月十六日
 今日は未だ生きてをります。昨日、父さん、母さん、兄姉にも見送つて頂き、全く清らかな気持で出発できました。
 敏子にお逢ひになつた由、皆何を感じられたか知りませんが、心から私が愛した、たつた一人の可愛い女性です。純な人です。私の一部と思つて何時までも交際して下さい。葬儀には是非呼んで下さい。
 お父様、お母様。本当に優しく心から私を可愛がつて頂きましたこと有難く御礼申します。私は一足先に死んでゆきますが、私が、あの弱かつた私が國に殉ずることを喜んで下さると思ひます。長い間御世話になり何一つ喜んで頂く様なことも致しませず相済まぬと思つて居ります。私の死はせめてもの恩返しと思つて下さい。
四月十七日
 今日も生きてゐます。皆に逢へて安心です。心に残るは敏子のことのみ。弱い心をお笑ひ下さい。然し死を前にして、敏子に対する気持の深さを今更の様に驚いてゐます。人間の真心の尊さを思つて下さい。
四月十八日
 軍服を脱いで行きます。真新しいのが行李(こうり)の中にありますから、それを家に、古い方を敏子に送つて下さい。必ずお願ひします。
 戦死がわかりましたら一度家に呼んで遺書等と一緒にお渡しになれば良いと思ひます。

   【平成五年十二月靖国神社社頭掲示】

私たちの若い美しい日(想恋賦………妻への手紙)

2012年11月5日 月曜日

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陸軍少尉 山川 弘至 命
  昭和二十年八月十一日
  台湾屏東、南飛行場にて戦死
   國學院大學卒
   岐阜県郡上群高鷲村出身
   二十八歳

 京子さん お手紙ありがたく拝読いたしました 私はあなたの手紙をどんなに待つてゐるか知れません(中略)そしていつもあなたのおたよりがつくと必死でよみます そこからすこしでもあなたに接してゐたいとおもふからです そしてあなたの手紙に感動したりよろこんだり 時には手紙が短かつたり 比較的平凡な生活の表面的報告であつたりすると 心からいきどほつたりいたします 私はあなたの文章のうちから何ものをかかぎ出さずにはおかないからです(中略) あなたの手紙が来てしばらくはいつも元気が出るのです しかしよろこびが大きい丈に期待にはづれるとふんがいします といつても之はあなたがいけないのではありません 私が我ままなのですから どうか我ままな私をゆるして下さい(中略)あなたがあるといふことは 他の人に比していかに私は幸でせうか 只々すべてに感謝あるのみであります(中略)
 私たちはあの日あつい涙で二人して誓つたことを どんなことがあつても忘れません 必ず生きてかへりますから そしてきつときつとあなたを幸せにすることを誓ひますから それまでどんなことがあつてもまつてゐて下さい 私たちの若い美しい日を必ず必ず二人で築き上げませう(後略)

   【昭和四十四年八月靖国神社社頭掲示】

安らかに大きくなれ

2012年10月15日 月曜日

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海軍大尉 田村 清 命
  海軍大尉 田村 清 命
  昭和十九年十月二十七日
  比島レイテ島東方
    サマール島沖にて戦死
  千葉県安房郡瀧田村出身
  四十四歳

愛する良子(よしこ)、恭子、光子、和代よ。
父なしとて悲しむなかれ。父は聖戦に於て、名誉ある戦死をしたのだ。
御前達は、生前の父をよく知るまい。良子も恭子も永久に記憶に残る程の印象はあるまい。然し、父は御前達の健康さうな、いとしい幼顔が、印象にハッキリして居る。
父は、作業地(訓練地)にあるときも、戦場にあるときも御前達のなつかしい姿を思ひ浮べては、元気を出して居た。
父は、御前達が揃って健康で、満足な五体を所有して居るので、何の懸念もない。安らかに戦死が出来る。
児等よ!安らかに大きくなれ・・・大きくなったら母の意に背かず、父を辱かしめず立派な日本の女性として雄しく生きて呉れ。
姉妹は仲よく結束して、一人の母を守れ。(中 略)
「父恋しくば?國神社へ」とは、父も映画でも見た。本当にさうだ!御前達も名誉の遺児として、社頭の対面もさして頂けるだらう。其の時は、肩身を広く九段に来て呉れ。(中 略)
言ひ遺す事は夫れ丈だ。皆シッカリ育て!
 十一月
               父より
愛する児供達へ

   【平成二十四年十月靖国神社社頭掲示】

神 州 不 滅

2012年7月2日 月曜日

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海軍大尉 長原 正明 命
  昭和二十年五月四日
  九州南方海面にて戦死
  海軍第十三期飛行予備学生
  関西学院高商卒
  山口県出身
  二十三歳

この度、将(まさ)に皇國の存亡を決する沖縄作戦に選ばれて参加出来、私平常の願望叶ひ、非常に光栄に思つて居ります。
 当地に来てより二十日余りになるのに、不思議に生き永らへ、今だに御奉公いたして居ります。
                 (中略)
 いつ終るとも分らぬこの作戦、今迄生き残つたのが不思議な程です。この言伝(ことづて)が届く頃には、特攻隊でゞも突込んでゐるかも知れません。
 併(しか)し私は幸福です。心から喜んで死んでゆけます。
 たゞ父上母上に孝養の万分の一も尽し得ないのを心苦しく思つて居ります。
 神州は不滅です。絶対に日本は負けることはありません。この基地に来て多くの特攻隊員の出発を眼前に見て、この信念は益々強くなるばかりです。
                 (中略)
 どうか國民一致して頑張つて頂きたいものです。特攻隊員の死を無駄にさせたくないものです。
 いろいろ書きたいことはありますが、とにかく男として死場所を得たことをほめてやつて下さい。
                 (中略)
 どうか兄上、良明、裕子、悦子、恭子はじめ皆様によろしく、達者で御暮し下さるやうお祈りいたします。

                   正明

 父 上
     様
 母 上

  【平成元年三月靖国神社社頭掲示】

我が故郷

2012年4月2日 月曜日

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海軍大尉 小久保 節彌 命
  昭和二十年四月十六日
  南西諸島にて戦死
  愛知県渥美郡伊良湖岬村出身
  二十四歳

我が故郷。
何と美しき四季とりどりの花は咲き、鳥は歌ひ山あり海あり。
太平洋の何と雄大なる、あの土用波の光景が眼にうかぶ。
椿は咲く。紅い花が咲く。
その下で図画を書いた事もあったっけ。
ゑのぐ筆をなめなめ稚い絵を書いた。
或いは夕野田に鮒釣に行った。
稲を荒して叱られた事もあったっけ。
海!そのもつひびき何と雄々しき事よ。
幼時より海辺に育ち真に偉大なる海に親しむ事が出来た。
ドンとうつ波の音は太古より未来永久につづくであらう。
我が故郷よ。無尽の幸あれ。
然して生れ来る国の童等を何時までも何時までも育んで呉れ。
我がふるさと人よ。
何時までも何時までも、純粋であってくれ。

  (遺稿『句集 はまゆふ』から抜粋)

 【平成二十四年四月靖国神社社頭掲示】