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偉大なる歴史の創造

2014年11月3日 月曜日

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陸軍中尉 殿塚 隆治 命
  昭和十九年九月二十八日
  西カロリン諸島パラオにて戦死
  栃木県栃木市出身
  二十五歳

 父上様
           陸軍病院一室にて 児 隆治
 今日も亦《また》爽かな薫風《くんぷう》にアカシアの若々しい香りを肌近く感じる五月の美しい晴天です。窓から見る物みなみどりに萌える南満の風物をながめてゐると、思ひがけなくも寒かつたチチハルの訓練、苦しかつた冬季演習などが想出されて来て、白衣に不遇をかこつ現在が夢の様に思はれてなりません。世の中は併《しか》し眇《すがめ》たる一見習士官の負傷などと云ふ事には何の関心もなく、何物にも妨げられぬ巨大な歴史の歩みをつづけて居ます。世界は此の偉大なる審判者の血みどろの努力をつづけてゐるのです。そして私は今日ほど世界各國が、とりわけ我日本が此の歴史に対し、敬けんな崇高に近いあり方をしてゐる時はありえなかつたと思つてゐます。
 静に欧大陸を想ひ、米州内部の諸事情を辨《わきま》へ、翻《ひるがえ》つて我日本に当面せる現実に到達する時、私は偉大なる歴史を創造してゐる私達自身の姿をいやでも見出ださねばならないのです。
 (中略)
 國事、家事共に多端の折から皆様の一層の御自愛をお願ひ致します。
 五月二十二日
 この身いま白衣にありて國思ふ
 薫風に白衣をかこち國思ふ

  【平成十二年五月靖國神社社頭掲示】

遺 書 状

2014年10月24日 金曜日

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陸軍大尉 小松 進 命
  昭和十八年十月十六日
  ニューギニアにて戦死 
  長野県諏訪市出身
  三十五歳

一、君ニ召サレテ屍ヲ戦野ニ曝スハ固ヨリ武人ノ本懐ナリ

一、盡忠ノ大義ニ生ク晴天ノ如シ

一、忠誠ノ士ハ純情ノ孝子ナリト祖先ノ遺風ヲ顕彰セン

一、残レル妻ノ使命ハ孝養ト子等ノ教育ナリ

一、昭夫ハ承継ナリ重夫・恭夫ハ大陸ニ勇飛セン

一、久子ニハ良縁ヲ

一、今ニシテ各位ノ好意ノ大ナルニ比シ恩ニ報ユルナカ
  リシヲ

一、各位ニ宜敷ク

   昭和十六年八月
                     進
妻へ

  【平成二十六年十月靖國神社社頭掲示】

犠牲ヲ踏ミ越エテ突進セヨ(水漬く屍………海底の遺書)

2014年8月4日 月曜日

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海軍少佐 樋口 孝 命
  昭和十九年九月六日
  徳山湾にて特攻兵器「回天」
  第一号を操縦訓練中、
  黒木博司少佐と共に殉職
  東京都中央区出身
  海軍兵学校卒
  二十三歳

  指揮官ニ報告
予定ノ如ク航走、一八一二潜入時突如傾斜DOWN二〇度トナリ海底ニ沈坐ス。其ノ状況、推定原因、処置等同乗指導官黒木大尉(少佐)ノ記セル通ナリ。事故ノ為訓練ニ支障ヲ来シ洵《まこと》ニ申訳ナキ次第ナリ。
  後輩諸君ニ
犠牲ヲ踏ミ越エテ突進セヨ、
七日〇四〇五呼吸困難ナリ、
大日本帝國万歳三唱ス。戦友黒木ト共ニ。
訓練中事故ヲ起シタルハ戦場ニ散ルベキ我々ノ最モ遺憾トスルトコロナリ。
然《しか》レドモ犠牲ヲ乗越エテコソ発展アリ、進歩アリ、庶幾《こひねがは》クバ我々ノ失敗セシ原因ヲ探究シ、帝國ヲ護ルコノ種兵器ノ発展ノ基ヲ得ンコトヲ。
 周到ナル計画、大胆ナル実施、生即死、〇四四〇、
 國歌奉唱ス〇四四五、
 〇六〇〇猶《なほ》ニ人生ク、行ヲ共ニセン
 大日本帝國万歳 〇六一〇、
  十九年九月六日
            海軍大尉 樋口  孝

  【昭和四十一年十一月靖國神社社頭掲示】

遺 書

2014年6月16日 月曜日

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陸軍中尉 阿部 司郎 命
  昭和二十年六月五日
  三重県紀伊長島町熊野灘沖合にて戦死
  神奈川県相模原市上鶴間出身
  二十三歳

天皇陛下萬歳
皇國永遠の発展を祈り奉る。
明野戦闘隊、皇軍戦闘隊の発展と各位の御健康を
祈る。
同期生各位の健康と発展を祈り、永き交友を謝す。

両親宛
平素の御教訓に遵《したが》ひ、司郎は喜びて皇國の為に死
す。乞《こう》安心。
生存中は直接何等の孝養を盡《つく》し得《え》ざりしも、大孝
の道に死したるは、御両親様も満足の事と拝す。
陛下の御為、國の為、不肖なる我が身が御役に立
ちますこと司郎最大の嬉悦《きえつ》を感じます。
七生報國の覚悟なれば、此の次生まれ来たる時に
は必ず膝下《しっか》に参ぜん。
祈御健康。

              阿部 司郎

  【平成二十六年六月靖國神社社頭掲示】

日本は今疲労してゐる(今朝、特別攻撃隊の申渡しあり)

2014年6月2日 月曜日

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海軍大尉 飯沼 孟 命
  神風特別攻撃隊第二魁隊
  昭和二十年五月十一日
  南西諸島方面にて戦死
  横浜専門学校
  海軍第十三期飛行科予備学生
  神奈川県横須賀市公卿町出身
  二十四歳

(四月十二日)
 本日朝、佐波大尉他○○○名の特別攻撃隊申渡しあり、私もその一員として加へられた。遂に正式に特攻隊員となつたのだ。
 もはや何ものも無だ。何も考へるまい。純一無雑で突入しやう。沖縄ではかうしてゐる間にも、幾つかの生命が敵空母と運命を共にしてゐるのだ。
 日本だけにしかない特攻隊、日本は今余裕が欲しいのだ。
 比島レイテ、硫黄島、西南諸島と、相続いての死闘に、日本は今疲労してゐる。この疲れを取り返すためには、西南諸島方面の敵艦船を全滅さすことだ。(中略)
 人生五十年、その半分の二十五年を無事に生き抜いたことを思へば不思議なくらゐだ。子供の頃が思ひ出される。
 三月十七日三浦君に会つたが。これが最後であらう。三浦君も遠からず征《ゆ》くであらう。
 突込む時は、どんなものであらうか?
 さつぱりした何とも云へぬ気持だらうと思ふのだが、何となく気にかゝる。(後略)

  【昭和四十七年七月靖國神社社頭掲示】

一兵士の死をこの上なく尊く思ふ(遺書)

2014年5月5日 月曜日

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海軍大尉 溝口 幸次郎 命
  神風特別攻撃隊
  昭和二十年六月二十二日
  沖縄方面にて戦死
  静岡県出身
  中央大学
  二十二歳

遺書
  (一)
 美しい祖國は、おほらかな益良夫《ますらお》を生み、おほらかな益良夫は、けだかい魂を祖國に残して、新しい世界へと飛翔し去る。
  (二)
 「現在の一点に最善をつくせ」
 「只今ばかり我が生命は存するなり」
とは私の好きな格言です。
 生れ出でゝより死ぬる迄、我等は己の一秒一刻に依つて創られる人生の彫刻を、悲喜善悪のしゅらざうをきざみつつあるのです。私は一刻が恐しかつた。一秒が重荷だつた。もう一歩も人生を進むには恐しく、ぶつ倒れさうに感じたこともあつた。しかしながら、私の二十三年間の人生は、それが善であらうと、悪であらうと、悲しみであらうと、喜びであらうとも、刻み刻まれて来たのです。私は、私の全精魂をうつて、最後の入魂に努力しなければならない。
  (三)
 私は誰にも知られずにそつと死にたい。無名の幾万の勇士が大陸に大洋に散つていつたことか。私は一兵士の死をこの上なく尊く思ふ。

  【昭和三十八年七・八月靖國神社社頭掲示】

人類は何故戦ひ血を流さねばならぬか(遺 書)

2014年4月7日 月曜日

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陸軍大尉 竹内 惠 命
  歩兵第八十二聯隊
  昭和二十年三月十日
  仏領印度支那ハノイ附近にて戦死
  東京都出身
  二十九歳

 遺書

 私は今静かな気持で此の書を認《したた》めることの出来る時と機会とを得た事を実に幸福に思ふ
 私は過去三年の間、南洋諸島に於けるあの血みどろな日米決戦の実体に遂に触るゝ事なく尊い同胞の流血を唯凝《じ》と眺めてゐた 此間私の心は常に何か堪へられない、何かせめられ追はれる様な焦燥と、部隊の任務の為と云ふ美名に隠れ安易に就かんとする怯懦《きょうだ》とが烈しい相剋を続けてゐた 自分には信念がないと悲しく思つた 軍人として不逞の徒であると思つた 私は淡々として而《しか》も磐石の如き亦燃ゆるが如き雄々しく逞《たくま》しい信念の持主になり度いと自ら願つたそして焦つた 私は周囲にある本を漁り読んだ 陳腐ではあるが眞に時局を認識したいと思つた そして勉めた 其結果此世界動乱が何を意味するか 其実体が何であるか 人類は何故斯《か》く戦ひ血を流さねばならぬかを私自身の心の中に摑むことが出来た様な気がする(中略)
 私は此の歴史の選んだ方向に道を神州日本が、一億皇國臣民が一路驀《ばく》進する光景を、姿をはつきりと見た 私は信念を得た 私は戦ふ そして我々は勝たねばならぬ 亦我々は勝つことを信じねばならぬ(後略)

昭和二十年三月一日
          陸軍中尉 竹内惠

  【平成十六年五月?國神社社頭掲示】

六月のチラン(祖國よさらば)

2014年2月3日 月曜日

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陸軍大尉 枝 幹二 命
  第六航空軍司令部
  昭和二十年六月六日
  沖縄方面にて戦死
  富山県出身
  二十三歳

(六月五日)
あんまり緑が美しい
今日これから死に行くことすら忘れてしまひさうだ
眞青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲 六月のチランはもうセミの声がして夏を思はせる

“小鳥の声がたのしさう俺もこんどは小鳥になるよ”日のあたる草の上にねころんで杉本がこんなことを云つてゐる笑はせるな

本日一四、五五分
いよいよ知ランを離陸する なつかしの祖國よ
さらば
使ひなれた万年筆を“かたみ”に送ります。

  【平成十五年六月?國神社社頭掲示】

如何にして美しい死に方をするか(死を前に)

2013年12月2日 月曜日

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海軍大尉 島 澄夫 命
  神風特別攻撃隊
    第三「八幡護皇隊」艦爆隊
  昭和二十年四月十六日
  南西諸島方面にて戦死
  慶應義塾大學卒
  海軍第十四期飛行科予備学生
  神戸市灘区赤松町出身
  二十五歳

 人間は無から生れて無に帰る。
人間は、如何にしていきるかといふことよりも、むしろ如何にして美しい死に方をするかを探し求めてゐる。
 人間は、自分の生活に未だ美しい夢が残されてゐるうちに死ぬのが、人生の一番幸福な生き方ではあるまいか。
 人間といふものは、何時でも楽に死ねるといふ確信がついて来ると、却《かえ》つていつでも生きてゐたくなるものだ。
 どんな悲しいことも、苦しいことも、割合平気で押しこらへて行くことが出来る。死は一切を清算する。そこには苦しみも、悲しみも、淋しさも存在しない。故に生きてゐる中にうんと苦しんでみやう。悲しんでみやう。
 かく考へれば、一日一日の生に脈々たる勇気が湧き非常に明るい世界が見出されたやうな気がする。腹の底から笑つてみたいやうな、愉快な気持になる。

  【昭和四十六年三月靖国神社社頭掲示】

遺書

2013年6月17日 月曜日

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海軍大尉 小野寺 ?治 命
       昭和二十年六月十三日
       沖縄島方面にて戦死
       宮城県栗原郡有賀村出身
       三十九歳

  日本に 生を禀《う》けし 男子が
       御盾となりて 散るぞ嬉しき

生ある者は必ず死す。国難に殉ずるは男子の本懐、之に過ぐるなし。喜んで殉ず。
軍人の妻として、今日あるを覚悟し、決して取乱すべ可らず。
余の亡き後は軍人の妻として、恥かしからざる生活をせよ。
博重は、必ず海陸軍人と致す様、養育すべし。
浩子は、婦女子として恥かしからざる教育を致させ、良縁があったら嫁《とつ》がすべし。
御腹の子供が男子であったら、博重と同様軍人に致し、女子の場合、浩子同様嫁がすべし。
余の亡き後は、速やかに帰郷致し、養父母に孝養を尽すべし。
決して世間の人様から後指を指されない様、心得る可し。
余の肉体は滅す共、精神は護国の鬼と化して朝敵を亡ぼす。
浮世の荒波に打ち勝って、子供の教育に専心すべし。
御前達の幸福を見守る。
右、遺言す。
昭和十五年十一月二十九日
                      ?治
 悦子殿
                      終り
      【平成二十五年六月靖国神社社頭掲示】