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遺書

2014年9月15日 月曜日

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陸軍少佐 森本 三郎 命
  昭和十八年九月三日
  ニューギニア ウエワクにて戦死
  兵庫県印南郡別所村出身
  二十六歳

一、
 皇民トシテ錦旗ノ下ニ死ス
 之臣ノ無上ノ光栄ナリ死シテ
 皇居守護ノ鬼ト化シ猶悠久ニ
 皇國ト共ニ生クルヲ喜フ

二、
 死ニ臨ミ悔ケレト未タ御奉公ノ
 足ラサリシト垣内ニ逆臣名利ニ
 趨ル徒輩ノ絶エサルヤヲ憂フ
 老幼男女階級ヲ問ハス眞ニ皇民
 タルノ光栄ニ感激シ各々ノ使命
 ヲ自覚シ己ノ最大ヲ傾ケ皇ニ奉
 シ顧ミテ恥サルヲ望ム

三、
 遺品ヲ残シ遺族ノ涙ト化スヲ欲
 セス皇國ニ生レ彼蒼ニ散華シ
 遺骨ノ帰省固ヨリ期セス何処ニ
 散ルトモ八紘建設ノ浄土ト化サン

四、
 両親ノ恩ニ報イルニ心配ノ累積ヲ
 以テセシ罪今日ノ壮行ニ免シ許シ
 給ヘ

                 三郎

  【平成二十六年九月靖國神社社頭掲示】

如何にして美しい死に方をするか(死を前に)

2013年12月2日 月曜日

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海軍大尉 島 澄夫 命
  神風特別攻撃隊
    第三「八幡護皇隊」艦爆隊
  昭和二十年四月十六日
  南西諸島方面にて戦死
  慶應義塾大學卒
  海軍第十四期飛行科予備学生
  神戸市灘区赤松町出身
  二十五歳

 人間は無から生れて無に帰る。
人間は、如何にしていきるかといふことよりも、むしろ如何にして美しい死に方をするかを探し求めてゐる。
 人間は、自分の生活に未だ美しい夢が残されてゐるうちに死ぬのが、人生の一番幸福な生き方ではあるまいか。
 人間といふものは、何時でも楽に死ねるといふ確信がついて来ると、却《かえ》つていつでも生きてゐたくなるものだ。
 どんな悲しいことも、苦しいことも、割合平気で押しこらへて行くことが出来る。死は一切を清算する。そこには苦しみも、悲しみも、淋しさも存在しない。故に生きてゐる中にうんと苦しんでみやう。悲しんでみやう。
 かく考へれば、一日一日の生に脈々たる勇気が湧き非常に明るい世界が見出されたやうな気がする。腹の底から笑つてみたいやうな、愉快な気持になる。

  【昭和四十六年三月靖国神社社頭掲示】

直《すなお》なる道を歩め

2013年7月8日 月曜日

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陸軍衛生兵長  中元 ? 命
  昭和二十年七月五日
  比島ミンダナオ島ブキドノン州
  マナゴック東北方にて戦死
  兵庫県神戸市葺合区北本町通出身
  三十二歳

大日本帝国に生を享《う》けし者、誰か国に報ゆるの心な
かるべき。
此の度、栄《は》えある御召《おめし》により皇軍の一員に参加す。
男子の本懐なり。生還期し難し。
茲《ここ》に書を認《したた》め、遺書とす。
余が妻、余が子として直なる道を歩めと教ふるのみ。
人間は、万物の霊長なり。
何時如何なる時も、人の道を正しく進め。
富貴《ふうき》も名誉も余の望みに非ず。只々人間らしくと望
むのみ。
?進《きよゆき》よ。如何なる方面に志すと云へど、其の本分を
全うせよ。
子としての務めを果せ。先づ健康なり。
じつゑよ。汝は子の母で有り、親の子也。
十二分、子の素質を伸ばすと共に、子としての務め
を尽せよと願ふのみ。         
                   終り

  昭和十九年四月二十九日

                中元 ? 書
? 進
   殿
じつゑ

  【平成二十五年七月靖国神社社頭掲示】

私の正反対な性格の人間になつて呉れ(グアム島の遺書)

2013年1月6日 日曜日

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海軍軍属 石田 正夫 命
  昭和十九年八月八日
  グアム島にて戦死
  兵庫県加東郡東条村出身
  三十七歳

 昨夜子供の夢を見て居た。父として匠に何をして来たか。このまま内地の土をふまぬ日が来ても、何もかも宿命だとあきらめてよいだらうか。おろかな父にも悲しい宿命があり、お前にも悲しい運命があつたのだ。
 強く生きてほしい。そして、私の正反対な性格の人間になつて呉れる様に切に祈る。
                             合 掌

 三月○日 内地の様子が知りたい。聞きたい。毎日、情勢の急迫を申し渡されるばかり。自分達はすでに死を覚悟して来てゐる。万策つきれば、いさざよく死なう。

 本月の○日頃が、また危険との事である。若(も)し玉砕してその事によつて祖國の人達が少しでも生を楽しむ事が出来れば、母國の國威が少しでも強く輝く事が出来ればと切に祈るのみ。
 遠い祖國の若き男よ、強く逞(たくま)しく朗らかであれ。
 なつかしい遠い母國の若き女達よ、清く美しく健康であれ。

  【昭和三十九年十一月?國神社社頭掲示】

極楽に部屋を借りてお待ちします

2012年1月17日 火曜日

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陸軍大尉  込茶(こみちゃ) 章 命
  振武第六十二部隊員
  昭和二十年四月六日
  沖縄島沖にて戦病死
  兵庫県尼崎市出身
  二十二歳

前略
 山には梅が桃が桜が咲いて居るといふのに、私は万斛(ばんこく)のうらみをしのんでこれをお知らせします。
 私たちが杖とも柱とも頼んだ隊長殿をそして杉田少尉を演習のため喪ひました。私はこれを書くのが精一杯です。だが今迄の章ではありません。隊長はおろか隊員の全部を失つても私はびくともしません。此処二十日間私はあらゆる逆境を勇敢に受容れて闘つて来ました。私にはどんな逆境も楽しかつた位です。隊長殿の遺骨を抱いて突込みます。
 永い間、海より深く山より高い御鴻恩(ごこうおん)に甘えながら何一つ孝行もできず死ぬのは残念ですがどうかお許し下さい。永い間有難う御座居ました。
御両親様より一足先に極楽に部屋を借りてお待ちして居ます。
 取り急ぎ乱筆お許し下さい。
     草々
      章拝
御両親様へ

【昭和五十七年一月靖国神社社頭掲示】

これで私はペンを置きます

2011年9月15日 木曜日

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これで私はペンを置きます

  海軍大尉  山下 久夫 命
   神風特別攻撃隊第二正統隊
   昭和二十年四月二十八日
   南西諸島方面にて戦死
   関西大学 海軍第十四期飛行科予備生徒
   兵庫県揖保郡御津村出身 二十三歳

四月三十日
 (前略)
 褌(ふんどし)も母上が縫つて大井へ送られたものを着、肌着も新しいものをつける
 軍服は最良の第一種軍装を着やう。
 照一の写真も持つてゐる。
 ただふる里の皆様の御健康を祈るのみ。
 今日の十二時、発進して行く。今晩つつこむか、また明日か。
 お姉様の最後の便り繰返しよむ。
 有難うございました。心より永久に感謝してゐます。
 家から荷物の受取つた便りを見ないで行くのもちよつと心にかかるが、大したことはない。
 今は朝の〇四一二なり、新しき飛行服に飛行靴、これが俺の衣装だ。
 坂本の小母様の千人針と、母から送られたマフラーをもつて行く。
 とし子よ、絹のマフラー、俺が貰ふよ。その代り、隊でもらつて少しよごれてゐるが他の一つを入れて置くから、これをお前の何かに使へ。これも四、五回しか着けなかつた。

 朝早くより、試運転らしい爆音聞ゆ。
 では今より、九九艦爆に乗り行かんとす。
 では皆様、切に多幸を祈つてをります。
 これで私はペンを置きます。さやうなら。
 父上、母上、私のために泣かれるな、いろいろと有難うございました。
 兄弟よ、さらば。俺は征く、後を守つて幸福になれ。

  【昭和四十五年十一月靖国神社社頭掲示】

最後の面会で食べた寿司の味

2011年8月15日 月曜日

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最後の面会で食べた寿司の味

  海軍大尉  安達 卓也 命
  神風特別攻撃隊第一正気隊
  昭和二十年四月二十八日
  沖縄方面にて戦死
  兵庫県竹野町出身 東京帝国大学 二十三歳

 父に逢つた。母に逢つた。手を握り、眼をみつめ、三人の心は一つの世界に溶け込んだ。数十人の面會人の只中にあつて、三人の心の世界のみが私の心に映つた。遙かな旅の疲れの見える髪と眼のくぼみを、私は伏し拝みたい気持ちで見つめた。私の為に苦労をかけた老いが、父母の顔にありありと額の皺(しわ)にみられるやうな気がした。何も思ふ事が云へない。ただ表面をすべつてゐるにすぎないやうな皮相的な言葉が二言、三言口を出ただけであり、剰(あまつさ)へ思ふ事とは全然反対の言葉すら口に出やうとした。ただ時間の歩みのみが気になり、見つめる事、眼でつたはり合ふ事、眼は口に出し得ない事を云つて呉れた。
 母は私の手を取つて、凍傷をさすつて下さつた。私は入団以来始めてこの世界に安らかに憩(いこ)ひ、生まれたままの心になつてそのあたたかさをなつかしんだ。私はこの美しい父母の心、温かい愛あるが故に君の為に殉ずることが出来る。死すともこの心の世界に眠ることが出来るからだ。僅かに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の美味だった。涙と共にのみ込んだ心のこもった寿司の一片は、母の愛を口移しに伝へてくれた。
「母上、私の為に作つて下さつたこの愛の結晶をたとへ十分戴かなくとも、それ以上の心の糧を得ることが出来ました。父上の沈黙の言葉は、私の心にしつかりと刻みつけられてゐます。これで私は父母と共に戦ふことが出来ます。死すとも心の安住の世界を持つことが出来ます。」私は心からさう叫び続けた。
 戦の場、それはこの美しい感情の試煉の場だ。死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するが故に、私は死を恐れる必要はない。ただ義務の完遂へ邁進するのみだ。
 一六〇〇、面会時間は切れた。再び団門をくぐつて出て行かれる父母の姿に、私は凝然として挙手の礼を送つた。
                              (後略)
                         【昭和三十八年三・四月?國神社社頭掲示】