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笑って護国の花と散ります

2014年3月17日 月曜日

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陸軍上等兵 ?山 晴次 命
  昭和十七年三月七日
  ビルマ国ペグーにて戦死
  香川県小豆郡四海村出身
  二十四歳

母上様。長らく御世話に成りました。
此の二十一年間、何一つ喜ばし、又、安心させた事もな
く、只御心配ばかり掛けまして誠に申訳御座居ませんが、
日本男子と生れて国防の第一線に立ち、男として一花咲
かせます。東洋永遠平和の為、散らして行きます。此れ
日本男子の本懐で有ります。
すでに母上様も入営当初より御覚悟は出来て居る事と思
ひますれば、私も何一つ思ひ残す事なく、笑って護国の
花と散ります。
なほ、もし私の骨が帰ったなれば只一言、よく死んで呉
れた。あっぱれと褒めて下されば、なほ嬉しく思ひます。
私の石碑は、ほんの印《しるし》だけで結構です。故、残金は全部
国防献金して下さい。
(中略)
茂君も丈夫で、立派な帝国海軍軍人と成って、海に活躍
せられん事を祈る。
孝江も真面目に働いて良き夫に付き、幸福に暮らされん
事を草葉の陰より祈る。
又、兄上様一同に色々と心配を掛けた晴も、だうやら一
人前の日本男子と成った様です。
私も此れに越したる喜びは有りません。
だうか母上様をよろしく御頼み致します。(後略)

                      晴 次
母兄弟妹様

  【平成二十六年三月靖國神社社頭掲示】

妹への便り

2014年2月17日 月曜日

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海軍二等整備兵曹 宗像 富男 命
  昭和十九年二月六日
  南洋群島にて戦死
  福島県石川郡蓬田村出身
  二十四歳

喜久ちゃん、しばらく。御無沙汰しましてすみません。
私もますます元気で御国の為に働いてゐますが、喜久ちゃんは元気ですか。
さうして毎日学校に通ってゐますか?
月日の経つのは早いものですね。御別れしてから早二年。
その間によく先生の言ふ事、御父さん御母さんの言ふ事を聞いて立派に、そして大きくなったでせう。
あへるものだったら本当に逢ひたいです。
今はいそがしいから学校から帰ると子守でせう。
でも子守をしながらでも良く勉強しなくてはだめですよ。
コウちゃんも元気でせう。
みんな仲良く暮しなさいね。
では又、何時《いづ》れ。

  【平成二十六年二月靖國神社社頭掲示】

書き遺す事

2014年1月20日 月曜日

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陸軍上等兵 吉野 浩藏 命
  昭和二十一年一月三十日
  ソ連シベリャセミノフカ地区
    第十二収容所にて戦病死
  新潟県柏崎市日角出身
  二十一歳

此の期に及んで何も書き遺す事も御座なく候へども、此の世の名残に一筆書き残し候。
万一小生戦死の報行くも、小生は欣然《きんぜん》として国難に殉じ、笑って帝国の礎石となり候間、決して嘆く間敷《まじく》候。
顧れば生を受けてより二十年、只御厄介になるのみにて、何一つとして親孝行も致さず、今更ながら後悔の外無之《これなき》候。
然しながら忠孝一本とか君に忠なる事、即ち親に孝と存じ候。
我軍の戦況、愈々不利に相成候へども、小兵等は日本の国民として情勢の如何に拘らず全力を尽して、自己の任務に邁進すべきと存じ
候。
夜青白き月光の木陰よりもるゝを見れば、想ひは遠く故郷の空にはしり申し候。
小生の亡き後も皆様には、帝国軍人の遺族として見苦しき事のなきやう、勝利の日迄仇敵米英の撃滅に邁進致され度候。
簡単乍《なが》ら右を以て遺書と致し候。
 
昭和二十年六月二十一日 十四時
      箇山(済南の南約十五里)にて
      雨の音を聞きつゝ
                          吉野浩藏

  【平成二十六年一月?國神社社頭掲示】

自分ノナマヘカケマスカ

2013年8月19日 月曜日

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海軍上等水兵 吉田 勝 命
  昭和十九年八月十日
  マリアナ諸島方面にて戦死
  東京都北区田端町出身
  三十六歳

明子チャン、大変ニオリコウサンニ、ナッタサウデスネ。
オ父サンハ、ヨロコンデヰマス。
ヨク通子トモ遊ンデヤルトノ事。
オヂイサン、オバアサン、オ母サンノ云フコトヲヨクキイテ、マスマス良イ子ニナッテ下サイ。
オ父サンモ、ココカラ元気ニ、ヘイタイサンニナッテ、見テヰマス。
塗絵タイヘンヨクデキマシタ。
モットモットカイテ、ナニカヒトリデ、カイテ下サイ。
自分ノナマへカケマスカ。
マダムリデスカ。
マタ、オモシロイハナシヲ、タクサンキカセテアゲマス。
通子、順子ニモヨロシク。
                    サヨナラ
                    父ヨリ
明子チャン

   【平成二十五年八月靖国神社社頭掲示】

直《すなお》なる道を歩め

2013年7月8日 月曜日

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陸軍衛生兵長  中元 ? 命
  昭和二十年七月五日
  比島ミンダナオ島ブキドノン州
  マナゴック東北方にて戦死
  兵庫県神戸市葺合区北本町通出身
  三十二歳

大日本帝国に生を享《う》けし者、誰か国に報ゆるの心な
かるべき。
此の度、栄《は》えある御召《おめし》により皇軍の一員に参加す。
男子の本懐なり。生還期し難し。
茲《ここ》に書を認《したた》め、遺書とす。
余が妻、余が子として直なる道を歩めと教ふるのみ。
人間は、万物の霊長なり。
何時如何なる時も、人の道を正しく進め。
富貴《ふうき》も名誉も余の望みに非ず。只々人間らしくと望
むのみ。
?進《きよゆき》よ。如何なる方面に志すと云へど、其の本分を
全うせよ。
子としての務めを果せ。先づ健康なり。
じつゑよ。汝は子の母で有り、親の子也。
十二分、子の素質を伸ばすと共に、子としての務め
を尽せよと願ふのみ。         
                   終り

  昭和十九年四月二十九日

                中元 ? 書
? 進
   殿
じつゑ

  【平成二十五年七月靖国神社社頭掲示】

今生のお別れに言ふておく(応召に際し嬰児《ちのみご》に遺《のこ》す)

2013年2月4日 月曜日

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陸軍上等兵 西山 進 命
  昭和十三年十月二十一日
  南支広東省黄草嶺附近にて戦死
  山口県豊北町出身
  三十五歳

 十三年ぶりに生れた清子。
 お前は、父の為には義理ある母上様、お前の為にはババさん、この義理あるババさんのお手にて育てられる。
 その御恩は決して忘れてはなりません。父の分までも共に御恩報じをして下さい。
 両親がないとて、必ず肩身をせまくすることはない。御國の為に父は名誉ある義務を果たしたのです。
 次にお前の母は病身であつた。本年(昭和十二年)一月四日、お前を生み、喜ぶ間もなく五月三十日、百四十六日ぶりに死なれたのです。
 これ今生のお別れに言ふておく。
                              さやうなら

清子どの                           父より
    (長女出産、間もなくして妻の死にあひ、その直後 応召す)

                           【昭和四十二年四月靖国神社社頭掲示】

遺  書

2012年7月16日 月曜日

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陸軍兵長  安田 博 命
  昭和二十年七月一日
  比島レイテ島
      カンギポット山にて戦死
  茨城県結城郡石下町出身
  二十四歳

御両親様。
貮拾有余年の長年月、御世話にのみ相成りました。
博は今、大東亜建設の礎石(そせき)として、命を君国に捧げます。
何等孝養とて尽さぬ事多く、先立つ不孝の罪を御許し下さい。
但し、軍籍に身を投じたからには、自分としては今日の事は、既に覚悟の上であります。
御両親様、博の戦死を聞いても、決して御嘆き下さいますな。
世間にはまだまだ不幸な境遇の人達が、どの位あるか判りません。
そして、まさ子や悦子の事は、呉々も宜敷く御願ひ致します。
博は決して卑怯な死に方はせぬ積りですから、それのみは固く信じて下さい。
では、桜咲く靖国での対面を胸に従容(しょうよう)として、祖国に一命を捧げます。
親戚、近所へ宜敷く願ひます。
                 博
 御両親様

  【平成二十四年七月靖国神社社頭掲示】

くにへのほうこう(お母さんさやうなら)

2012年5月7日 月曜日

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陸軍上等兵 堀 曽六 命
  昭和十五年一月七日
  支那湖北省にて戦死
  岐阜県出身
  二十六歳

 お母さんぼくはたいへんげんきです。あんしんください。
 しぬもいきるも、ときのうんです。いっしやうけんめいやります。なんのかうかうも、ようせなんだが、くにへのほうこうは、いちにんまへします。五にんまへするつもりです。
 めいよのせんしをしたときは、りつぱにしんだと、ほめてください。いまにりつぱなはたらきをします。まつてゐてください。お母さん、からだをたいせつに、さやうなら

                    曽六

  母上様

  【平成五年一月?國神社社頭掲示】

涙して下さるな

2011年10月1日 土曜日

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涙して下さるな

  海軍一等機関兵  安藤照太郎 命
   昭和十三年十月十六日
   中華民国湖北省西塞山にて戦死
   福岡県京都郡豊津村出身 二十四歳

 暑さも盛りを過ぎて、心持ち涼味を感ずる頃ともなりました。
 其の後、皆様には御機嫌麗(うる)はしく御過しの御事と存じます。
 御陰様にて身体は益々頑健にて御座いますれば御放念に下され度。
 今迄不遇な運命にありましたる私も時機到来、或る方面に転勤する事になりました。
 御老体の両親様並、三ちゃんや良ちゃんには御身体に特に留意せられ、二人には元気に勉強せられる様に。
 一度(ひとたび)戦地へ臨(のぞ)む上は、軍人として愧(は)ぢざる行ひは心に銘じて居りますれば、御安心下され度。
 終りに臨み特に御願ひ致し度は、不幸にして聖戦半(なかば)にて斃(たお)るるとも、家に在りて必ず涙して下さるな。
 此れが臨地(りんち)に向ふ私の唯一の御願ひです。
 笑って迎へて下されば、此に越した喜びは御座いません。
 呉々も涙して下さらざる様御願ひ致します。
 取り急ぎの為、乱筆ながら御通知まで。
 明年は出港の予定。御機嫌よう。
 元気で行って参ります。

               終
 昭和十三年八月十九日
御両親様
    膝 下

  【平成二十三年十月靖国神社社頭掲示】

戦地からの葉書

2011年7月1日 金曜日

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戦地からの葉書

  陸軍兵長  倉本和三郎 命

  昭和十九年七月十三日
  中国湖南省邵陽縣白鶴舗にて戦死
  京都府京都市東山区出身 三十五歳

 其之後ハ、御無沙汰シテ居リマス。
 家内一同、変リハ無イデスカ。
 又、子供等ハ達者デアルカ。
 百姓仕事ヤ、工場仕事モ大変忙ガシイ事ト思ヒマス。
 出来ル丈気張テ働クノガ、銃後(じゅうご)ノ務(つと)メデス。
 寒ク成ッテ来マシタカラ、風邪ニカカラヌ様注意。又、火ノ用心ニ特ニ気ヲ付ケル事。
 村ノ務メヤ、交際ハ十分ニナサイ。
 ペントナイトノ状況ハドウカ。
 機械ノ調子ハウマク行クカ。
 稲ノ取入モ近ヅイテ来マシタ。大イニ努力セヨ。
 自分ハ、非常ニ元気デ御奉公シテ居リマス。
 奥田吉造殿ニ宜敷ク云ッテ呉レ。スベテノ事ハ尋ネナサイ。
 自分ヲ何ヨリモ大切ニセラレ度シ。

                            【平成二十三年七月靖国神社社頭掲示】