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遺 書

2014年11月17日 月曜日

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海軍二等機関兵曹 姫野 清馬 命
  昭和十七年七月五日
  アリューシャン列島アガツ島付近にて戦死 
  福岡県糸島郡福吉村出身
  二十六歳

母上様には、色々と御心配を掛けまして申し訳
ありません。
海軍軍人となったこの上は、誠心誠意奮闘する
覚悟です。
軍人たる者何時身を捨つることあるや、今から
決心してゐます。
母上様の並大抵ならぬ苦労は、身に沁みて有難
いと思ってゐます。
小生今までの御不孝をお許しください。
「一死報國」以って繕はして戴きます。
 母上様に対して深甚の感謝を捧げます。
                     敬具
  昭和十一年五月三十日
                  姫野清馬
母上様

  【平成二十六年十一月靖國神社社頭掲示】

遺書

2014年8月18日 月曜日

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海軍兵曹長 庄司 猛夫 命
  昭和十九年十一月二十一日
  フィリピン東方海面にて戦死
  福島県岩城郡内郷町出身
  二十七歳

我今より我が大日本帝国の決戦場に向ふにあたり一言遺言す。
我もとより戦場に向ふに心残りなし。今大君の御為、大和民族の盾となれるを喜ぶ。家人よ嘆く勿れ、むしろ祝すべし。
我が家にも名誉の戦死の記されることを地下より喜ぶ。
二十六年の間、海よりも深き父母の恩に報い得ざるは、残念なり。
残る弟妹達、兄たる小生の分も孝行されたし。
節子よ、兄の墓は敵の重艦で大きく立派なものだ。
此の海を今にお前たちが船に乗って通ることもあるでしょう。
兄は喜んで見上げるよ。
母さんに孝行、父の言を守り弟妹共の指導をたのむ。
(後略)
  昭和十八年一月十日 

  【平成二十六年八月靖國神社社頭掲示】

遺書

2014年7月21日 月曜日

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陸軍曹長 三浦 武男 命
  昭和○十○年○月○日
  マリアナ諸島サイパン島で戦死
  愛知県愛知郡豊明村出身
  三十歳

一枝
長い間、色々と御世話になりました厚く御礼申し上げます。
此の御恩は、いつまでも忘れは致しません。
今日の日の有ることを既に覚悟してゐて呉れたことと思ふ。
戦死したならば、御國の為と喜んで呉れ。笑って大東亜建設の投石となって戦死致します。
一枝や淳、又、生れ来る子供のことを思ふと夫として、又、親として何らの責任も果たさず、幸福にさせることが出来なかったのを唯一つ心に残り、可愛さうに思ひますと共に、済まない思ひが致しますがこれも御國の為と泣かずに喜んで呉れ。
たとへ、此の身は戦場に於て露と消へても、魂となって祖國を守り一枝や淳、又、生まれ来る子供を守って居ります。
信じ切って居る一枝。私が常に言って居る様に、正しい道をふみ行なって天地に恥じざる行動をとっていただきたい。
淳と生まれ来る子供を立派に教育し育て、家を継がせて呉れるのを草葉の蔭から祈って居ります。逢ひたくば、靖國の杜に来て呉れ。待って居ります。
                 武 男

昭和十九年五月二日
一 枝 殿

  【平成二十六年七月靖國神社社頭掲示】

新生を信じやう(遺稿)

2014年7月7日 月曜日

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陸軍憲兵軍曹(中支派遣参謀部嘱託) 黒沢 次男 命
  昭和二十二年八月十二日
  上海にて法務死
  栃木県黒羽町出身
  三十四歳

遺稿
 夕暮れが来ると私は今日だけはやつと死なずにゐたと思ふ。そして宵闇が迫る頃は明日の心構をせねばならない。朝が来ると着てゐるものを全部取りかへて素裸になつて冷水で体をふき清潔なものを身につける。洗面と同時に洗濯、さあ今日は来るかと、机に向かつてうわ言集を書く。歌を作る。そして昼まであと二、三時間ある。そして夕方を迎へる。
 こんな張り詰めた生活、満月に引きしぼつたやうな心の緊張を保ち乍《なが》ら送る一日、私は幾日、幾十日、この生活をつヾけなければならないのだらう。一日、一日の集積が人生であるとは云へ。

         ―― ◇ ―― ◇ ――

 この一瞬々々を積みて一日として生きてゐる現在、この瞬間々々を刻む秒は私の生命に喰入つてゆく。恐らく死の陰惨さのみに心を注いでゐなくてはならないとしたら発狂してしまうだらう。永遠の沈黙のみに戦慄してゐるならば窒息してしまふだらう。恐れてはならない。戦慄してはならない。目先の現象にも心患《わずらわ》して迷ふ心。
 見よ、十万年前の夕空もきつとこんなに美しくあつたらう。百年前の雲もきつとこんなに輝しかつたらう。またヽく星、美しき月、かれんな虫の声、自然はわれには少しもかヽはりはない。
 うたかたの人生に悲しみ歎きて永遠を見得ざるわれ、この室に挿されたくちなしの花とてやがては散る。然れども来る夏には再び花を開きて芳香を放つであらう。昨夜のけらは死んでしまふかも知れないが新しいけらがまた昨夜と同じやうにまた鳴いてくれるであらう。われら人間とて永遠に絶える事はあるまい。再生を信じやう。新生を信じやう。理論も理窟もいらない。この小さなくちなしの花の美しい生命と、この毎晩鳴いてくれるけらの生命の根底がわかるまでは、人が生まれてくる生命の神秘が実証されるまでは、私は無条件で再生を信ずるより外はない。これを否定する何ものもない。息詰るやうな苦しみはたヾ生の欲求のみがなせる業だ。何番何番と、死の伝令の呼出しが来れば、私は静かに再生の第一歩をこの監房の扉より踏み出すであらう。その時は、絶対感のみが支配する。
  (後略)

  【昭和四十一年五月靖國神社社頭掲示】

國破れて学問なし(今ぞペンを捨て銃を執る)

2014年1月6日 月曜日

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陸軍曹長 池田 忠雄 命
  昭和二十年七月二日
  比島中部ルソン島にて戦死
  山形県酒田市東中の口町出身
  二十三歳

 昭和十八年九月二十六日
 学徒出陣する時は終《つい》に来た 徴兵猶予の停止 文科系系統の学校の閉鎖
 来るべきものが終に来たのだ 吾等はペンを捨て学業半ばにして銃を持つ 愛する祖國のために戦はねばならぬ 深海の底のやうな静けさだ さうだ總《すべ》ての過去を清算して 真の逞《たくまし》き日本男児となり 永遠の将来に生きねばならない 自分一個の肉体は一時的かも知らないが 自分の霊魂は人類平和を目標とする正しき民族精神の中に永遠に生きることであらう
 國破れて学問なし 美しき祖國の山河なし 吾等学徒の立つべきときは今ぞ!! さうして敵と生死の一戦をまじへ断じて断じて勝たねばならぬ
 死ぬ前に心残りなく 故郷の空に山に河に海に遊びまはつてよく見ておかう 俺の苦しいにつけ楽しいにつけ黙示のうちに慰め励ましてくれた大自然だ 俺を清く正しく大きく育て上げてくれた美しきあの山 あの河を!!
(後略)

  【平成十一年七月?國神社社頭掲示】

それは運命だと思ひます

2013年11月18日 月曜日

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陸軍伍長 宗本 琢磨 命
  昭和十九年十一月十一日
  比島カモテス海峡にて戦死
  岡山県苫田郡中谷村出身
  二十三歳

蝉の声かしましき八月の初旬、今昭和十九年八月の始め、友と共に戦地に行かんとするに当り、一筆父上に呈し、不孝を
詫びんとす。(中 略)
何処に行き、どんな事が起っても琢磨はお父さんの子であると云ふことを忘れない積りです。そこから必ず自分の進む可
き、何らかの方向が示されると信じます。
両親が今迄、琢磨を引張ってきて下さった強い強い力は、やがて琢磨が自分一人で押進んでゆく強い力と成ると信じます。
風波荒い社会、つくづくさう感じます。波静かな両親の港に憩ふときのみ、琢磨は何もかも忘れて安らかな気になります。
淋しい、さう云ひたい今の気持ちです。いくつになっても、やっぱり親程よいものはこの世にないとつくづく思ひます。
戦地の病院で息を引取る病人が、最後に云ふことばは「お母さん」の一声です。
いつまでもいつまでも、親のもとにいたい、さうした気持ちで一杯なのです。
然し、男である以上、まして父の子である以上、日本の男の皆やることは死んでもやらねばならないのです。お父さんの云はれた通り、必ず死ぬ人間で有る以上、どこでいつ死んでもそれは運命だと思ひます。
幸にして妻子はなし。唯々両親様の健康は、一日も長くすこやかなれと祈るのみです。
其の日、其の日の最善を尽しつつ琢磨は元気で行ってきます。
決して進んで死を望むやうな琢磨ではありません。
然し、死す可き時には潔く死にます。其れが男子の一生として、亦、両親様も一番喜んで下さる道と信じます。
美佐子、綾子もよくよく両親様の注意を守り、立派な女性となるやう。

昭和十九年八月四日 朝

琢磨

【平成二十五年十一月靖国神社社頭掲示】

可愛い妹へ

2013年10月21日 月曜日

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海軍飛行兵曹長 三上 春治 命
  昭和十九年十月十二日
  台湾にて戦死
  島根県邑智郡口羽村出身
  二十二歳

安ちゃん、懐かしい御便り有難たう。
元気で産業戦士として踏み出した由、兄さんは心から祝福してやる。元来勝気な安ちゃんだから、少々の苦しい事辛いこと位、我慢して御国の為に働くものと確信してゐる。
同封の金はほんのわずかだが、兄さんの心尽しの御祝と思って受取って呉れ。どんな困難なことにぶつかっても、若さと意気で押通す。くよくよ考へたり嫌だと終始思ってやってゐると、仕事に負けてしまふ。
我々日本国民は、皇国に生を承ける喜びと誇りを持って、喜んで難事に当たって行け。環境が変って窮屈なこと、やりにくいこと、又、急に親の下を離れて淋みしい心等、邪魔する目に見へない敵はあるけれど、安ちゃんも三上家の子だ。
兄さん達三人共、立派に軍人として御奉公してゐるのだ。女でも兄達に、なに負けるものかと云ふ旺盛なる負けじ魂で掛って行け。
日本人である以上決して忘れていけない大君の御恩、そして父母の恩、いくら忙しくとも年老いてゐる父母は、口羽の土地から常に安ちゃんのことを心配して居られると謂ふことを忘れず、余暇を利用して家に便りを出せ。(中 略)
戦野の兄二人は、元気で居られるから安心してやれ。兄さんも、今では可愛い雛鷲の教育で忙しいが、至極元気だ。呉々も注意するが、自分の体を傷つけたら、之は大きな国家への不忠だから、充分気をつけて作業に当れ。仕事にやうやく馴れる時、心に大きな隙が出来る。大いに自重してやれ。
末筆だが安ちゃんの健斗を祈る。
可愛い妹へ

     三重県鈴鹿海軍航空隊
     第十二分隊教員室 兄より

  【平成二十五年十月靖国神社社頭掲示】

妹弟へ

2013年9月23日 月曜日

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陸軍伍長 赤井 稔 命

  昭和十九年九月二十一日
  比島ルソン島バコールにて戦死
  鳥取県米子市大工町出身 
  十九歳

千代枝。元気で勤めて居る事と思ふ。
俺も元気で居る。安心してくれ。愈々出発だ。喜んでくれ。
此の上は、専心御奉公致す覚悟である。
千代も大人になった。母上様をよく手伝って御安心させてあげてくれ。
俺の分も兼ねて孝養を尽すのだぞ。
若い者の陥り易い短所としてと言へば解るだらう。決して其の様なまねはするなよ。
一から十まで孝養だ。それから博の面倒をよく見てやれよ。
仲良く暮すのだ。
お前が病気したら、母上様の苦労は大きなものだ。
体を大切に、孝養を尽くせ。
千代枝殿
        
                       兄

博。元気で勉強の事と思ふ。
俺も愈々南方で活躍するから安心せよ。
体を丈夫にして、よく勉強して立派な者になるのだ。
高等科一年生にもなれば、物事の善悪も知って居る事と思ふ。
此の事をよく弁(わきま)へて、よく遊びよく勉強しなさい。
母上様に孝養を、俺の分も尽す様、確かに申付けます。
姉さんの言ふ事をよく聞ひて、体を大切にしっかり勉強しなさい。
        
                     兄より
博へ

       【平成二十五年九月靖国神社社頭掲示】

武家の家人らしくすべし(弟達へ)

2013年9月2日 月曜日

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海軍上等主計兵曹 白井 武男 命

  軍艦「摩耶」乗員
  昭和十七年十一月十四日
  ソロモン諸島方面にて戦死
  茨城県出身
  二十一歳

(前略)
 かはいい弟達、我が家には我が家のハッキリした精神がある。何年か後は貴殿等も軍人に成るはずなり。それまでは一心不乱あの精神守り通すべし。
         (中略)
 軍人としては戦場に臨むからは万一の場合を予期せねば成らん。されど幸にして永らへる者は必ず白井家の意志をガッチリと後世に申し送るべし。
 父母の孝養にいそしむべし。父母の心安ずる事が子としての最大の孝行なり。
 困《くる》しさも難しい所を笑つて切りぬけるべし。己を困難は錬磨してくれる。御互に口をつつしむべし。口はわざはひの素なり。一家の秘は決して外言するべからず。功をほこらず、死を悲しまず、武人の家人らしくすべし。涙は絶対禁物なり。泣くは子供の時なり。泣く分笑ふ事が第一なり。絶対軍人の家人らしく態度を保持すべし。

  【平成十七年十一月靖国神社社頭掲示】

日の丸と共に生く

2013年8月5日 月曜日

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海軍上等兵曹 坂屋 三治 命
  昭和十八年六月八日
  柱島にて戦死
  岩手県水沢市姉体町出身
  二十六歳

(前略)
 遺言としましては今更申し上ぐることはありません。常日頃話しました
?生死一如《しょうじいちにょ》 我日の丸と共にあり日の丸と共に生くその姿は?國の社頭に薫る一片の桜花《おうか》――?の心境で御座います。
 又遺品も共に太平洋の戦場に消えるものばかりで少しもありません。
 只健康で必勝の信念と斃後而尚《たおれてのちなお》やまざる軍人精神とを以て盡中奉公《じんちゅうほうこう》の誠を盡《つく》し一死もつて國に報ゆる覚悟でありますれば何卒御安心の程を――
 厳寒の折柄御自愛専一にお祈り申して居ります。
 先づは乱文にて一筆啓上と致します。
 母上様を始め皆々様には呉々もよろしく御傳言《ごでんごん》の程お願ひします。

       軍艦陸奥十二分隊 坂 屋 三 治

 徳 治 兄上

  【平成十三年十月靖国神社社頭掲示】