ニューヨークの真只中に突進したく(銃後も奮闘を)

英霊の言乃葉を画像で表示(右クリックでダウンロードできます)

海軍主計少佐  樋口 征太郎 命
  昭和十九年九月十三日
  比島セブ北方海上にて戦死
  大阪市阿倍野区出身 二十五歳

(前略)
 戦局愈々(いよいよ)苛烈となりサイパン島も遂に玉砕し内地の皆様も切歯扼腕(せっしやくわん)され居る事と存じます。吾々も出来れば爆弾をいだきてニューヨークの真只中に突進したく歯ぎしりかんで居ります。只今亦(また)東條内閣総辞職の内地放送を聞きました。吾々は最早生きて帰るなどとは夢にも考へては居りませんが内地の皆様かこれしきの事にて些(いささ)かにても志気沮喪(そそう)されざらん事を心より祈るのみです。
 まだまだこの戦はこれ位のものではありません。更に猛烈化し、内地は毎日空襲を受ける様になる事でせう。吾々現地の者はどれだけ敵の攻撃が猛烈化しても祖国の必勝を固く信じて奮闘して居ります。一刻も早く増産の結果を戦地にもたらされん事を待つて居ります。
 では皆様もお身体に気を付けられて銃後に奮闘されん事をお祈り致し居ります。私も身体には充分気を付けて居ります故何卒御安心被下度お願申上ます。では又お便り致します。
                  敬 具
 父 上
 母 上 殿
 英 子
                征太郎より

  【平成九年九月靖國神社社頭掲示】

タグ: , , , ,

コメント4件

  1. 外 山 より:

     
                      大    意
     

     私文要領 : 「 ニューヨークの真只中に突進したく 」という感情は、戦略的
     に正しいもので、陸海軍は合同でアメリカの本拠地を攻撃対象とし、相手
     の戦艦・飛行機・銃器の製造ラインを壊せば大東亜戦争は勝てた。
     
     策 : というのを、平時 (上記の場合は大正時代)に戦争計画として練って
     おかねばならない。でないと、その戦略の罠に相手を誘導することを御家
     芸としている特に白人の国家に我が国が負けてしまうからである。
     

      ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
     
       
         歴 史 観
     

     大東亜戦争は、※?それまでの戦争と違い、戦闘場で敵を追い払うだけで
     なく敵戦力を根源(相手の祖国)から絶滅させて、はじめて勝利が確定する
     という今迄に日本が戦ったことのないタイプの戦であった。
     
     アメリカは 、 大量生産できる武器がある限り戦争が出来るという武器依存
     型の戦争で 、※?丸腰だと戦う気が起きないという性格であった為に日本
     自体を焼き払うまでは優勢でも安心できないものだという考え方があった。
     
     日本は丸腰でも戦う度胸のある国民性のため、最悪の事態には「そのとき
     になったら、なんとかなるだろう」という陽気な性質の結果 、予め具えておく
     のが苦手である。これは、戦略が重視される場合、欠点となる。
     

       ◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
       ◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
       ◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◇◇◇◇◇◇◇◇
       ◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇
       ◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇
       ◇◇◇◇◇◇◇◇◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇
       ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇
       ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇
     
      
         問 題 点
     

     勝利条件は、敵の領土でなく 「 本土を先に壊滅させた方 」 であるため、統
     帥権の分離( 東條さんは総理なのに、海軍に口出しできない )が痛く、それ
     で陸海軍バラで計画性無く動いたのが敗因であった。
     
     山本五十六先生は 、アメリカ本土を攻撃して勝つ※?意志がない方だった
     ので、これも不味かった。細かい島に拘るのは、開始当時に本土攻撃の敢
     行が視野に入っていない為である。
     
     勝つには、「石油を確保しよう」ではなく、「 はやく敵の根城を潰そう 」でなけ
     ればならなかった。 石油の確保は 、変な安心感を生み、領海とするべき範
     囲の迅速な制覇の意志をスポイルした。

     
       ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇
       ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇
       ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇
       ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇
       ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
       ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
       ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
       ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆   
       ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 
      
     
         解 決 策
     

     ナポレオンもそうだが 、※?自ら歴史上はじめて行った作戦を敵に真似られ
     た時から勝利できなくなっていく。 勝利を引き寄せたいなら飛行機を使う自身
     の新作に、もっと自信を持ってバリバリ戦うことである。
     
     平和好きな我が国は第一次対戦を避けて、戦を忘れた状態で大東亜戦争を
     向えてしまった。 本来なら 、例えば日露戦を戦うとすれば、その前は日清戦
     争を、更に前に※?国内で戦って勘が冴えてる、そんな状態が望ましい。
     
     治にいて乱を忘れずだけでは 、戦争のセンスが失われる。 日本にいつまで
     も生きていて欲しいならば、勝負を忘れない為に時々、その環境を求める必
     要がある。戦争するの初めてです、では負けるから玄人になっておく。
     
     
      ?.
        壇ノ浦、奉天会戦や元寇など、広場でチャキンチャキン戦うこと。
     
      ?.
        武器で圧倒できそうにない時は、インディアンと仲良くしておく。
        ( 有色人種に対する白人の仕打ちは酷い。文書化を躊躇う程に )
     
      ?.
        真珠湾攻撃での空の遣い方は、最高であった。その後がイマイチ
        なのが玉にキズであった。 意志が作戦を思いつく源であるため 、
        それが無いと思いつけない。勝つ意志が必要である。
     
      ?.
        『 最終戦争論 』から。石原莞爾さんの著作で面白い本。
     
      ?.
        薩長VS幕府派の戦争や西南戦争のこと。渡部昇一名誉教授の言。
      

                                  皇紀 2672年 4月 17日(火)

  2. スダ より:

    生きて帰ることを考えず、との言葉通りに散華された樋口命は、最前線で米軍の圧倒的な物量を直截に感じていたから、「まだまだこの戦はこれ位では……」と書かれたのだろうか。
    実際、樋口命の戦死後も戦争は激しさを増してゆくが、当時は、それでもなお、「絶対に負けない」という強い意志が、多くの日本国民に共有されていたと思う。その思いが強ければ強いほど、終戦は青天の霹靂であり、受け入れがたくもあった。
    あるひとが、「人が苦しみ恥じているときは、それ以上に、神もまた、苦しみ恥じているのだ」と言うている。また、ほかの人は、「日本の神々は、大事なかわいい子供である日本人だちが、これ以上苦しみ、死んでゆくのを見るのが忍びなかったのだ。もし大東亜戦争で、さらに上手く戦い、米軍が耐えがたい大きな打撃を与え、停戦の講和条約を結べたとしても、その後は、巨大化した米軍相手に対抗すべく、さらなる軍備増強をして、それを維持しなければならなくなる。そうなると国民の生活はいっそう窮乏化し、苦しみが永くつづいただろう。だから、日本の神々は、将来の日本国民(つまり、現代の我々)に安寧な生活をあたえるべく、敗戦を受けいれたのかもしれない」とも言うている。
    あくまで、これは一面的な見方だが、こういう考え方もあるのを、いまの人はほとんど知らないし、また、知っても受け入れまい。
    だが、日本の敗戦を肯われた日本の神々はじめ、英霊の御心を思うと、粛然たる気持になり、終戦直後に、皇居や?國神社で額ずき、土下座した人びとと同じく、私も神々への申し訳なさに苛まれざるを得ないのである。

  3. 外 山 より:

     
      自らの死をもって、国を続かせようとする意気込みが尊い。
     
      もし、敗戦によって、 日本 ・ アメリカ ・ ロシアによる三国時代
      の未来を免れて、子孫に平穏を、戦は米露に戦わせておけば
      よいというのが神意ならば、日本の神々は中々だ。
     
      次は、勝利の神託を受けられるよう、人事を尽くしたい。
     
     
                                 皇紀 2672年 4月 23日(月)

  4. 外 山 より:

     更新、ありがとうございます。

     すべて順調で問題ありません。
     
        
     凛々しい英霊の文章を皆に届ける役目、
     大事ですから宜しくお願いします。

コメントをどうぞ