あの空は晴れて居りました

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陸軍伍長  大石 穂積 命

  昭和十九年八月十九日
  比島レイテ沖バシー海峡にて戦死
  明治大学在学中応召
  静岡県榛原郡初倉村出身
  二十三歳

 母に告ぐ
 穂積はいろいろとお世話をかけましたが 今やつと人なみとなつて死ねます 病気等で本当にお世話になりました どうか母さん余生を楽しく暮らし
て下さい さうして穂積の墓に参る事を一つの喜びとして下さい
 姿こそなけれども穂積は母さんのもとに居ります 大石家の男系はこれで絶
えました しかし古くは楠公に 新しくは乃木将軍に 大石家は必ず穂積が何
処かで見てゐるでせう
 母さんは若いときより苦労しました 穂積はよく知つて居ります 今までに
母さんの一番嬉しかつた事は昭和十七年の秋東京見物に行つた時だと思ひます
 あの日光の水は本当に美しく あの空は晴れて居りました あの日の母さん
の顔が瞼(まぶた)に浮んで参ります
 母さん素子を日本の女として下さい

 妹に告ぐ
 素子よ 兄は今莞爾(かんじ)として戦死する お前は元来無邪気である様
だ その純真さを何処までも盛り上げて 日本の女となれ さうして?兄あり
き?と想ひ出してくれ

 姉に告ぐ
 幼い時よりの姉さんだ 俺は今日本の武士として戦死する 今まで永らくお
世話になつた厚く御礼する
 時々は田舎へ帰つて母さんと素子で俺の墓に来てくれ
 何も思ひ残すことはない

  【平成十年八月靖国神社社頭掲示】

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コメント2件

  1. 外 山 より:

     
        何も 思い残すことはなくとも 、 墓参りは あると嬉しいわけだから 、
        あの世の者と逢う場所、特に本来国営である靖国神社や護国神社
        は重要である。
     
        莞爾( ニッコリ )して戦場に倒れる精神を忘れ去った時、討死を忌
        避した時に国は滅びるだろうから 、 陛 下 の御言葉の 「 世と共に
        語りつたへよ国のため 命をすてし ひとのいさをを 」 に集約される
        顕彰の義務を拝する崇敬会は尊い。
     

                                  皇紀 2672年 4月 15日(日)

  2. 外 山 より:

     
                           私 淑
     
                      ? 言行の模倣 ?
      

       ” カエサル” が、その焦燥感を 「 アレキサンダー大王と同い年となったの
       に 、何も出来ていない 」 と ” 吐露 ” したような、その憧れと同一と成りた
       い ” 志 ” が はじめて安堵するのは尊敬する先人と同じようになれた時。
     
       その安心の無い 、湧きあがり発散できない状態が 「憤」 。 内から張る力 、
       この気性があるから学問が出来る。佐藤一斎や西郷隆盛も、孔子と顔淵
       も 、皆この圧が懸かっていたから立派になれた。 心は蒸気機関。
     
       理想とする英霊のあり方をもって 、 古の神に胸を張って堂々と比類する。
       届かぬからこそ挑むのだ。 王道を謳い 、王道を示す。この背中を見守る
       先祖の為に。
     
                                   皇紀 2672年 6月 29日(金)

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