涙して下さるな

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涙して下さるな

  海軍一等機関兵  安藤照太郎 命
   昭和十三年十月十六日
   中華民国湖北省西塞山にて戦死
   福岡県京都郡豊津村出身 二十四歳

 暑さも盛りを過ぎて、心持ち涼味を感ずる頃ともなりました。
 其の後、皆様には御機嫌麗(うる)はしく御過しの御事と存じます。
 御陰様にて身体は益々頑健にて御座いますれば御放念に下され度。
 今迄不遇な運命にありましたる私も時機到来、或る方面に転勤する事になりました。
 御老体の両親様並、三ちゃんや良ちゃんには御身体に特に留意せられ、二人には元気に勉強せられる様に。
 一度(ひとたび)戦地へ臨(のぞ)む上は、軍人として愧(は)ぢざる行ひは心に銘じて居りますれば、御安心下され度。
 終りに臨み特に御願ひ致し度は、不幸にして聖戦半(なかば)にて斃(たお)るるとも、家に在りて必ず涙して下さるな。
 此れが臨地(りんち)に向ふ私の唯一の御願ひです。
 笑って迎へて下されば、此に越した喜びは御座いません。
 呉々も涙して下さらざる様御願ひ致します。
 取り急ぎの為、乱筆ながら御通知まで。
 明年は出港の予定。御機嫌よう。
 元気で行って参ります。

               終
 昭和十三年八月十九日
御両親様
    膝 下

  【平成二十三年十月靖国神社社頭掲示】

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コメント5件

  1. より:

    どの言乃葉を見ていても感じるのですが、残された家族や友人達に対しての思いが伝わってくる言乃葉が多いと感じます。日本のために死地へと赴かれるなか、自分は大丈夫だから皆はよくやってほしい。そんな気持ちが伝わってきます。

  2. 外 山 より:

    まず生きて戻ることは無い。元気に戦って参ります。きっと戦死するでしょうけれども、訃報に涙を流さないで下さい。

    国内で待っている大事な人達への気持ちが伝わる、切実だけれども余裕があって清々しい良い文章だ。

    皇紀 2671年11月11日

  3. 外 山 より:

     
      もとである道徳と、
      すえである才能や芸当を全て備える
     
     明治時代。

     欧米列強に追い付くための政府の行動は、
     「才(西洋知識)を尊び、芸(西洋技術)を貴ばん」
     というものでした。明治初期の学校教育もこうでした。

     護国の為、西洋を吸収する焦りから、伝統的な道徳教育
     が廃れるのを危ういことだと思し召された明治陛下には、
    「※ 親 (親しい者) に親しみ、徳 (人の道) を尊ばん 」
     との趣旨から、『教育勅語』(「道徳才芸、本末全備」の精
     神の書 )を発布なされました。

     根幹をゆるがせにせず、 どっしりし、 ころころと軽薄なこ
    とではいけない、ということだと想います。

     昭和陛下には 、「 立派な日本人になってください 」 との
     御言葉を敗戦に虚脱した国民にかけられました。これも、
     雪に耐え抜き、色あせない松葉のように、日本人の根底
     が駄目にならないように、 精神が朽ちないように、という
    のだと想います。
     
     身が整い、家が整い、国が整い、天下が整えば、天下乱
     れれば安らかな国なく 、 国が乱れれば安らかな家なく 、
     家が乱れれば安らかな身がない、というのを防げます。
     
     英霊が文章を書かれた時代は、天下動乱 戦国時代でし
     たが、国を治める指導者があって、集団を治める指揮官
     があって、身を修めた人物があった為、家々や人々に動
     揺がやってくるまで相当時間がかかりました。

     徳を尊ぶことで 才がいかんなく発揮される、人物が上に
     立つことにより大将であることにより、才能を持った参謀
     が大活躍できるのは 皆なんとなくわかっている。 この常
     識を実行できた時代が現在の勉強になって、これからこ
     うできたら良いと思うものです。これが 英霊の言乃葉 や
     歴史を学ぶ時、興味がわく理由です。
     
     そういう理想が 叶ったら嬉しいなぁ と思う 人々が集まる
     所が明治神宮です。乃木神社であり、この靖国神社です。
     そう思って崇敬会に入りました。
     
     英霊の言乃葉を拝読する際も、やはり邦に人物があった
     と嬉しい感情が出てきます。

     人物がゴロゴロ存在するような、そういう歴史的な普通の
     日本にしたいと考えます。
     
     ※ 特別、 賢者であるとか功労者であるとか関係の無い 、
        親や親戚など家族、友達など親しい人と親しくすること。
    例えば、 和歌の披講であれば 芸当に秀でた楽師の歌
    でなく、長く親しんだ「公家の歌が聞きたい」と明治陛下
    の御言葉があったというようなこと。

       発想元『 呂氏春秋 』の太公望と周公旦の対談から

     皇紀 2672年 1月 3日

  4. 外 山 より:

     
               道徳才芸、
               その臨界を極めたるもの
     

      ◎  家族を想うあつい ◎ 人々は英霊を慕い、  ◎
      ▼ 気持ち、戦場へ挑む ▼ 老若男女問わず靖国 ▼
      ▲ 強い勇気、兵器を操 ▲ 神社に参拝する。    ▲
      ▼ 作する技術に、戦法 ▼  焦がれる程の徳が  ▼
      ▲ を実践する大胆さ。 ▲ ある。一人一人の国  ▲
      ▼  道徳才芸、その臨 ▼ 民の心に我も又英霊  ▼
      ▲ 界を極めたるもの。 ▲ たらんと立志の火が  ▲
      ◎ そうであるからこそ  ◎ 灯る。精神の伝承。  ◎
     
     
      皇紀 2672年 1月 5日

  5. 外 山 より:

     
                     聖 戦 とは
     
     
         そもそも戦には、義によるものと利によるものの二つが
        ある。
     

         必ず前者によるのが我が国で、正義に志す場合、弱い
        敵と戦うことはありえず、 強い相手の 進入を防ぐ大義の
        為に常に劣勢の戦いであり、これのみが聖戦である。

         後者によることが多いのが欧米で、金や物などの利益
        の為に戦い、後の分配を考える所から、自然に侵略性を
        帯びる。自分と力量が同等の国とは謀議を行い、強い国
        との戦いを避ける鉄則から、消去法で弱者との戦争だけ
        が残り、常に優勢の戦いである。聖戦ではありえない。
     
     
         であるから、生来お人よしで戦争計画が出来ない日本
        人は、常に正義と大義を持って戦う為に、侵略戦争を行
        う心配は皆無だが、故に戦争がいつでも劣勢であること
        を覚悟しなければならない。

         他方、欧米は外交( 利益の分配 )と戦争計画( 諜報活
        動等を駆使した仮想敵国の弱体化 )に秀で、かなりの割
        合で優勢の戦争を選択的に戦うため、その国民は敗戦を
        危惧する気苦労は無いが、知らぬ間に侵略戦争を戦って
        いることを後悔しなければならない。

         情緒に基づけば、 徒党を組んで 一人を倒すのは 卑怯
        であると考えるであろう。 だが、 この精神性は 戦争には
        向かない。 徒党を組むのが 外交であり、 相手の仲間を
        少なくし こちらを多くする卑怯を 長期的に行うのが 戦争
        計画である。
     

              ◎         ◎         ◎

     
         このように、戦争とは悪知恵が稚拙であるか老獪である
        かにより性質が異なるし、なにより国の基礎をなす人の性
        格が道徳的であればあるほど戦争は劣勢になるのである。

         道徳とは、周りの人と善意で仲良くするという意味合いが
        あると考える。悪意で仲良くする方法を習うことはあまりない。

         戦国時代の善悪の極致を極めた者の精神が子孫に残っ
        ていた江戸から明治にかけては、本来 我が国では必要性
        を持たない悪徳に関して 漢学を用いて習っていたが、 そう
        いう者達が少なくなる 大正・昭和 は、もともと下手であった
        外交が更に下手になったように感ずる。
     
     
         過去の我が国のしくじりは、この辺に原因を発すると考え
        るので、これからは 一般道徳から離れた 権謀術数につい
        てエリートが学べるようにしないと、次に戦うようになった時
        も危ないと考える。

     
     
        皇紀 2672年 1月 7日

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