遺   書

英霊の言乃葉を画像で表示(右クリックでダウンロードできます)

遺   書

       陸軍兵長  岡 敏雄命
       昭和二十年六月九日
       比島ミンダナオ島にて戦死
       岡山県児島郡下津井町出身 二十八歳

此度の戦斗にて大君の御為に死所を得ました事は、皇国に生を享くる男子としての本懐、正に之(これ)に過ぎるものはありません。
成人するに及び故郷を遠く離れ、親子別々の生活致し、何等孝養らしき事も尽さず死するは、全く慙愧(ざんき)の極(きわみ)であります。
小生亡き後は前途多端の一家の為、万全の善後策を講じて下さる可く、切に御願ひ致します。
尚、京子の件に関しても、結婚後僅々四ヶ月余日の生活にて、夫を失ふ身は誠に不憫とは考へますが、出征前能(よ)く能(よ)く申聞かせ、既に覚悟の程も出来居る事と存じますれば、今後は本人とも充分御相談の上、宜敷御取計らひ下さいます様、御願ひ致す次第で御座居ます。
小生身は仮令何れの地にて果ませうとも、皇国の万代不易(ばんだいふえき)と一家の隆盛を祈って安けく冥じます。
最後に、父上の英霊に続いた子として不肖の身でありましたが、何卒御許しの程願ひます。
では、御身体呉々も御大切に。
母上の御幸福を蔭乍ら御祈り致します。

  昭和十九年四月二十九日

                  岡  敏 雄
  御 母 上 様

【平成二十三年六月靖国神社社頭掲示】

タグ: , , , ,

コメント3件

  1. 外 山 より:

     
      「 修養の目的は誠に到達することである 」

        (「『中庸』講義」より )


      誠は天の道、これを誠にするのが人の道。

     天にとって誠が存在するのは嬉しいことだから、
     天は自らの性質である誠の徳を行うために人を創った。

      宇宙を創り、星々を造り、様々作って、
      最後にたどりついた人を通じて誠を行う。

      誠は物の終わりと始め、誠ならざれば物も無し。

    ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎


    「 誠 」とは「言」葉の通りに「成」る、の意味らしく、
     言った通りに成ってしまうのが本当である。
     言葉の意味の通りにそのまま成る、そこにはウソが無い。


     教育勅語の言葉通りに成る。それが英霊の言乃葉である。

      慎んで皇国を思い、

     明らかに護国を弁じ、

      篤く義勇奉公を行う。

      修養の御手本としても慰霊顕彰、勉強できると考えます。

    ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎   ◎

     皇紀 2671年11月26日

  2. 外 山 より:

     皇国は万代不易であるから表層は幾らでも見違えるほど
     易(かわる)ことができるのだ。

     皇紀 2671年11月27日

  3. 外 山 より:

      僕は、乃木希典院長閣下が大好きです。

      あの有名な、
      敵将に帯剣を許しての会見を歌にした「水師営の会見」では、
      次のような歌詞があります。

     
       ( ステッセル将軍 が ) かたち正して言い出でぬ
     
       「 この方面の戦闘に 二子を失い給いつる 

        閣下の心いかにぞ 」 と

       「 二人の我が子それぞれに 死所を得たるを喜べり

        これぞ武門の面目 」 と(乃木さん)大将答え 力あり

       旅順方面の作戦で戦死した我が子二人について、
       力強くステッセルに語っている所が格好良いのです。

       
       さて、
       英霊の文章の”陛下の御為に死所を得て大変満足”の部分。
       なかなか格好良いですね。
     
       皇紀 2671年11月27日
        

コメントをどうぞ