私が死んだら

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私が死んだら

        陸軍少尉 山 川 弘 至 命
        昭和二十年八月十一日
        台湾屏東南飛行場にて戦死
        岐阜県郡上八幡町出身 二十八歳

 私が死んだら
 私は青い草のなかにうづまり
 こけむしたちひさな石をかづき
 青い大空のしづかなくものゆきかひを
 いつまでもだまつてながめてゐやう。
 それはかなしくもなくうれしくもなく
 何となつかしくたのしいすまひであらう。
 白い雲がおとなくながれ
 嵐が時にうなつて頭上の木々をゆすぶり
 ある朝は名も知らぬ小鳥来てちちとなき
 春がくればあかいうら青い芽がふき出して
 私のあたまのうへの土をもたげ
 わたしのかづいてゐる石には
 無数の紅の花びらがまふであらう。
 そして音もなく私のねむる土にちりうづみ
 やがて秋がくると枯葉が
 日毎一面にちりしくだらう。
 私はそこでたのしくもなくかなしくもなく
 ぢつと土をかづいてながいねむりに入るだらう。
 それはなんとなつかしいことか。
 黒くしめつたにほひをただよはせ
 私の祖父や曽祖父や
 そのさき幾代も幾代もの祖先たちが
 やはりしづかにねむるなつかしい土
 その土の香になつかしい日本の香をかぎ
 青い日本の空の下で
 私は日ごとこけむす石をかづき
 天ゆく風のおとをきくだらう。
 そして時には時雨がそよそよとわたり
 あるときは白い雪がきれいにうづめるだらう。
 それはなんとなつかしいことか。
 そこは父祖のみ魂のこもる日本の土
 そこでわたしはぢつといこひつつ
 いつまでもこの国土をながめてゐたい。
 ただわたしのひとつのねがひは

 ―ねがはくは 花のもとにて 春死なん
    そのきさらぎの もち月のころ―― 

【平成二十二年四月靖国神社社頭掲示】

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コメント4件

  1. 外 山 より:

     土の布団。枯れ葉の布団。もしくは緑の布団。
     そういったものを着て、生きていた頃と同じようである。

     きっと、
     「 祖父や曽祖父やそのさき幾代も幾代もの祖先たち 」
     も同じようである。

     そうして行く末を見守る。

     なら、尊ぶこちらも、生きていた頃のように、目の前にい
     るように尊ぶのである。

     昔の偉い人は
     「祭るに、居ますが如くする」
     と、おっしゃった。

     たしかに、その通りである。

     皇紀 2671年11月11日

  2. 外 山 より:

      
         むこうからファーと霧がこちらに向ってきて、落ち着いて
         座っている者の頬を涼しくなでる。 このとき口を開くとほ
         のかに霧がわかる。

         死ぬってのもこんなもんだろうと 、富士山に座った時に
         思ったことがあります。

         焦ったり不安な時こそドカッと座り、生きるも死ぬも天が
         決める事という感じで心を落ち着かせたい。

         そんで活きながら生き、活きながら死ぬようなのがいい。

         眺めていたい。
     
     
                                  皇紀 2672年 9月 20日(木)

  3. 外 山 より:

     
     ◎ ◎                                       ◎ ◎
     ◎                   巨 大                     ◎
     
               かるく 頭だけ横に傾けて電線の暖簾 をく ぐり 、

               ビルの脇息に寛ぎながら 陽に 向っていたい 。 

               国土と一体で 大きく 、 生死を四季に したい 。
     
     ◎          皇紀 二六七二 年 十月 十八日 (木)        ◎
     ◎ ◎                                       ◎ ◎

  4. 外 山 より:

     
                先祖の魂がつまる日本の天地が私である

     

     【 システム ? 】 プリンストンだったか、エールだったか。 そんな名前の学校
                で先生をされていて科学に詳しいケリーさんという眼の綺麗
                な女の子の本に「脳内の活動している場所を断面図でみれ
                る脳スキャナーを付けた方に、 母親のことを考えてもらい、
                次に自分のことを考えてみてもらったところ、 脳の同じ場所
                が活動する結果が得られ、 自己の中には自分だけでなく 、
                大事な人も含まれることがわかりました」 と いったことが書
                かれてあります。
     
                  考 察 ・・ 夫婦和合の二人で一つも、脳の中で
                          一つなのでしょう。
     

        敷 衍 >> 「 立国は私なり、公にあらざるなり 」 という言葉があるよ
                うに、広大に愛して行くと最終的に国を考えることが私を
                考えることになる、 国が受けた辱めは、私の受けたもの
                であると発想するようになるということでしょう。

                それでもし、そのような 「 私が死んだら 」 国土と一体 と
                なるはずです。
     

     【 システム ? 】 「天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人
                を愛するなり」(勇者の西郷隆盛さんの言葉)。この、自分と
                他人が同じであるという愛情以外に、自存自衛の勇気が必
                要です。 国は自分を守ってくれるものという発想では、親は
                自分を守ってくれるものという 発想と同じで依存的であり 、
                それではダメだというのが 「独立の気力なき者は、国を思う
                こと深切ならず。独立とは、自分にて自分の身を支配し、他
                によりすがる心なきを言う」 (福沢諭吉さん)という言葉の意
                味だと考えます。自分が自分を守り、国を護る。自己の心身
                を自己で支配し、他に依りすがらずに行動する精神をいった
                のが、田母神俊雄さん著書の題名『 自らの身は顧みず 』で
                しょう。 陸軍少尉 の 山川弘至 命にも、この勇気を背景とし
                た愛情があるわけです。 最後の行の 「 花のもとにて 春死
                なん 」 のスカッとしているところがそうです。 この花は 多分
                さくら のことです。
     
                  考 察 ・・ 右目が勇気で、愛情が左目にある
                         状態で、この両目(視差)で英霊を
                         見ると姿が立体的に映ります。
     

        結 論 >> 英霊が誰かの為に、もしくは御国の為に戦って死んだの
                 を、 何故そんなに尊いことが出来たのか? と考え出し
                 たら迷宮入りなので、まず自分と妻と 家族と国とが 同じ
                 であり、自分が2人以上いる。 この内、一人が戦って死
                 ぬ事で他の自分が助かる。 この判断が無意識でなされ
                 る。 全ては自分の為に 自分の命をかけることから離れ
                 ない。こう考えたら、難しくなく合点がいくと思います。
      
     
                  余 論 ・・ 愛して守ろうとすると勇気が出て
                         くるとも言えます。
     
     

                   皇紀 2672年 11月 15日(木)

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