遺言書

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遺言書

         海軍少尉 野村龍三命
         神風特別攻撃隊琴平水心隊
         昭和二十年五月四日
         沖縄周辺洋上にて戦死
         海軍甲種飛行予科練習生第十三期
         愛知県出身 十八歳

         神風特別攻撃隊水心隊
         海軍二等飛行兵曹 野村龍三

古今未曾有ノ國家一大興亡ノ此ノ時沖縄周辺ノ敵撃滅ノ為勇躍征途ニ向ヒマス
生ヲ享ケテ十八年何等ナス事ナク不孝ニ不孝ヲ重ネテ参リマシタ事御詫ビ致シマス
然シ乍ラ今ヤ陛下ノ御楯ト此ノ若キ身ヲ捧ゲ奉ルコトノ出来マシタ此ノ光栄モ一ニ御両親様ノ御蔭デアリマス

辞世

男児等乃燃えて燃えてし大和魂
身は九重乃花と散るらん

 特攻隊愛機ト共ニ搭乗員トシテ死ヲ共ニスルコトノ出来ル無上ノ光栄ヲ今飾レルコトガ出来マシタ
 神國日本ハ必ズ勝チマス
 勝利ノ日迄皆様ノ御健闘ヲ御祈リ致シマス
 龍三ヨクヤツテ呉レタト一言デモヨイカラ云ツテ下サイ

 昭和二十年四月二十八日
 出撃一時間前

 御両親様

【平成九年五月靖国神社社頭掲示】

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コメント3件

  1. 外 山 より:

     我国の歴史は、白村江・元寇・日清日露・大東亜戦争、ずっと強大国との戦いの連続。
     それでも、聖徳太子さまの煬帝宛ての手紙に見られる「気合いと気迫」の胆力で奇跡的
     に国が負けずに来た。
     
     軍人は皆、必勝を信じて戦っている。
     上に立つ政治家は智恵と勇気を出し切らねば。やはり、勝たせてやりたい。

     皇紀 2671年11月16日

  2. 外 山 より:

     我国の歴史は、白村江・元寇・日清日露・大東亜戦争、ずっと強大国との戦い
     の連続。

     それでも、聖徳太子さまの煬帝宛ての手紙に見られる「気合いと気迫」の胆力
     で奇跡的に国が負けずに来た。
     
     軍人は皆、必勝を信じて戦っている。
     上に立つ政治家は智恵と勇気を出し切らねば。やはり、勝たせてやりたい。

     皇紀 2671年11月16日

  3. 外 山 より:

     
        立派な人物に成る手立てを記した本には 「 ※ 我が子の
      頭をなでながら、 こうなってほしいなぁ とイメージするその理
      想の姿で、自らの父親に孝行出来たことがない。 補佐してく
      れる家来を見て、こうであったらなぁと願望する、その臣の臣
      たる姿で自分が主君に仕えることは、未(いま)だ出来たこと
      がない 」 と、 その理想の実践の難さを語ってある文章が あ
      りますが、我が国にあっては、この限りではありません。
     
     
        理想的な人物が頻繁に現れるのが我が国。

     
        日本人として「こうであってほしい」と理想に思う 、日本人
      としての姿を実際に生きた者が多いのが我が国。

        英霊こそ、日本人に要求され望まれるところをもって公に
      尽くした存在です。

        その存在は、魔法のような奇跡に頼ったものではない。こ
      の国体、 この伝統を形にしたものが、 それが日本精神の精
      華。 光彩を不朽のものとした理由であるからさ。
     

        さあて、英霊の魂の生まれ変わりと思えるような立派な人
      物が出てきてくれたらどうだろう?

        もし、英霊に求めるところをもって、邦(大きな國)に尽くす、
      そういうことは未だ出来たことがない。これが大分 戦後 長い
      間そのようだというんでは退屈であるから 「面白きことも無き
      世を面白く」 して行こうと学ぶのです。
     

        結論。「 理想 」を、自らの心身を通して現実化する、具現
      化する。 この能力こそが 「人」 という存在の隠れた力である
      と前提し 、臣民 ( 日本人 ) は この性質を発揮させ、精神の
      高みに連れて行く 「理想」 と 「夢」 に憬れるだけでなく、実践
      してみせるところに 人生を面白くする秘訣が隠れていると信
      じます。
     
     
     
     
     ※ 厳密には 「 子に求(もと)むる所以て(ところもって)父に
       事(つか)ふるは 、 未(いま)だ能(よ)くせざるなり。臣に
       求むる所以て君に事ふるは、未だ能くせざるなり 」 です。
     

                           皇紀 2672年 1月 24日

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