私に逢ひ度くば空を見よ

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私に逢ひ度くば空を見よ

          海軍少佐 篠崎 眞一 命
          横須賀海軍航空隊
          昭和十九年六月二十九日
          内南洋方面にて戦死
          東京都出身 二十四歳

 (前略)
 玲子
 玲子は日本一、否世界一の妻なりと思つてゐる。苦勞のみかけ、厄介ばかりかけ、何等盡し得なかった事済まなく思つてゐる。四月十五日以来僅な月日であつたが、私の一生の半分に價する月日であつた。父母に孝養を盡してくれ、私の分迄。
 私に逢ひ度くば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。私は其処に生きてゐる。
 結婚のすべての手續き、六月十二日に横空で完了して置いた。くれぐれも後を頼むよ。私の出来なかつた事も玲子には出来る。後顧の憂一つなく征ける身の幸福を感謝してゐる。
 最愛の玲子、御身を常に見守つてゐるよ。

   出撃前夜
    海軍大尉 篠崎眞一

【平成十八年三月靖国神社社頭掲示】

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コメント2件

  1. 外 山 より:

     濃い時間を生きられると幸せだ。

     皇紀 2671年11月16日

  2. 外 山 より:

     
        松陰先生の曰く「たとえ10年で死んでも、そこには芽ぶきか
      ら実りまでの人生の春・夏・秋・冬の段階、四つの時が自ずとあ
      る。また100年で死んでも同じ四時がある」
      
        英霊の方々も又このようであります。

        先ほどの松陰先生の言葉の続きは「 もし、私の精神を継い
      でくれたなら、それは 種が滅びず次の年に沢山の実りをもたら
      すのと同じである 」という 國防精神の継承についてです。 先生
      は志半ば投獄の邪魔が入り、 大規模な構想を展開できなかっ
      たので、 先生の精神性に感化された高杉(晋作)さん達が維新
      をやってのけてくれたことは嬉しいのです。 

        これを 英霊の言乃葉 で言ったらば、『 大好きな お母さん 』
      ( このHPの第8番目の言乃葉/≫ 英霊の言乃葉一覧を参照 )
      の文「私共の後に続く者の強き足音が聞えて参ります」でしょう。 

     
        『 魂は永遠に生きる 』(第23番)には、こうあります。
     
      ? 肉体は之で永遠に此の世を去る。
                        而し魂は永遠に生きる。 ?

        英霊の魂が永遠にあり続けるが故に、その実りを心に蒔い
      て、また春が國に訪れることができるのです。
     

                              皇紀 2672年 1月 11日

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